『太陽の下で』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
俺にとっての太陽は、推しだな
俺はあなたのおかげで
あなたという太陽のおかげで
生きている
もし、太陽がなくなったら
普通太陽がなくなったら
人間が生きていけないように
俺も、あなたなしでは
生きられないかもしれない
いや、生きられない。
だから、あなたという太陽の下で
俺は、今日も生きる
太陽の下で____
2022/11/24 小説日記
まさみが私の筆箱を開け中を見ていた。
「どうしたの?忘れ物?」
「忘れ物ってww。違うよ〜」
女子は勝手に筆箱を開けることは珍しくない。かわいいペンやマーカーを見つけてそれに対して話をしたりよくあることだ。私はそれかと思ったがまさみが急にそんなことをするのはおかしい。席が前後だったりすればそういうことはあるがわざわざ遠い私の席へ来るのは不思議だった。一体どうして私の筆箱の中を見ているのだろうか。
「なみがね、クジラにあげたペン使ってるか確認してって言われたから」
なみは同じ部活仲間だった女子だ。まさみと仲がよく引退した私となみは他クラスということもあってほとんど話していない。だから、私と同じクラスのまさみに頼んだんだろう。
「なるほどね〜。私何もらったっけ」
「なんか、ピンクのペン?」
私は家の机の中を思い浮かべる。誕生日プレゼントでは色々なものをもらったせいか、友達からもらった文房具がポーチにまとめて入っている。その中から彼女にもらったプレゼントを思い出すことはできなかった。
「家にあるかも」
「大丈夫〜、使ってたって言っとくから!」
「ありがとう、」
ペンや消しゴムは使い切ってから友達からもらったのを使っている。だから、なみからのプレゼントはまだ使っていない。それは言い訳になるだろうか。ただ、まさみに嘘をつかせてしまうことが申し訳なかった。
2022/11/25
私はピンクの消しゴムとペンを3本、筆箱に入れて学校に行った。
1時間目は道徳で短所を長所に変える、リフレーミングを行った。周りのから長所を教え合いながら話し合いをする。金曜日だからか今日はみんな少しだけテンションが高かった。
「クジラは優しいじゃん」
前の席の友達と話していると彼女は先生を呼び止め話し合いに参加させた。私は先生に「優しい」と言われ、嬉しかった。ただ、一年生の頃にもこういった授業があり6人中全員一致で「優しい」という長所だった。それだけだった。そして、話し合いをしているときもそれしか言われなかった。
誰でも優しいじゃん。正直その感想しかない。優しくすることなんて誰でもできる。みんな、そうだ。だから、私の長所がそれだけなのが悲しかった。
「あー、やっぱりそうですよね!!」
と前の席の友達が言う。
「えー、何かやだ」
そう不満げに答える私に先生は笑っていた。優しくすることなんて誰でもできる。
その後はまさみや親友がこちらにきて話し合いをした。その時も「優しい」という長所しか出てこなかった。わかっている。贅沢なのは。友達から優しいという長所を言ってもらえるのは光栄なことだ。それに対して満足できない私が悪いだけ。
それに、「優しい」の反対は「我慢」だと思っている。自分で我慢して体調を崩してそれを理由にして勉強をしなかったり言い訳にする。そう思うと「優しい」という長所は私にとって都合のいい行為だ。それを知っているのは私だけ。だから余計に「優しい」と言われるのはあまりいい気分ではなかった。
授業が終わりまさみの席に駆け寄る。
「なみにもらったのってこの中のどれかな?」
3本のペンにピンクの消しゴムを見せた。家にはピンクのペンはなく消しゴムだけしかなかった。しかし、色が違っていて本当はペンかもしれない。だから、友達からもらった文房具を持ってきて彼女に見せたらわかると思ったんだ。
「あー、わかんない。ごめんね〜」
「全然大丈夫だよ〜」
「クジラ、わざわざ使うの笑?」
「せかくもらったしね、だからまさみはなみに嘘付いたことにならないから安心してね」
「そういうとこよ」
「え?」
「クジラの長所。ありがとっ」
「うん……全然」
いつも我慢するとき………人に優しくするとき、みんな当たり前のようにそれを受けいれる。だから、改めてそう彼女に言われるととても嬉しかった。
太陽の下で
この光を浴びて
世界は明日を迎える
この光を浴びて
新しく塗り替えていく
この光を浴びて
私は元の位置へと戻る
太陽の下で
今までと違う日を
新しくやり直すように
やり直せるように
日が昇り沈むのだ
もう一度のチャンスは
遠い東から訪れるのだ
だからこそ
この太陽の下で
精一杯輝こう
少しの失敗ならば
また明日やり直せばいい
そう考えられれば
私達はチャンスの日々を
生きていられるんだ
あなたの大きくて優しい手が
私の頬にそっと触れた。
待ってたよ。
太陽の下で
私はあなたに包まれた。
歳を重ねるにつれ、子供の頃に怖いと思っていたものや、苦手だと思っていたものがかなり減ってきた。
まずは、他人の目。どう思われてるかなんて、それほど気にしなくていいことに気づいた。だから、知らない人に話しかけることや、人前で話をすること、他人に自分の体重を知られることをなんとも思わなくなってきた。
次に、好きにはなれないが、蜘蛛やゴキ、ヘビもわりと平気。
でも、その代わりに、大好きだった
ブランコやジェットコースターに乗れなくなった。(三半規管がやばい‥)
そして、何より恐ろしく感じるようになったのは、太陽の下。そう、全ての老化の元凶、紫外線だ。
日焼け止めや日傘は命綱と言っても過言ではない。
若者たちよ、他人の目を気にする前に、紫外線に気をつけた方がいい。
何が大切なのか、見極めろ。
#太陽の下
42 623
#47 私たちは、太陽の下で生きている。
辛いことも沢山ある中で、「命は大切だ」と頭に刻み込んで、必死に生きている。いなくなった方が楽。そう思う気持ちも、もみ消して生きてる。
太陽が昇ってまた、沈む。その繰り返しだった。
病室の窓から、朝日を眺め、夕日を眺める。
この入院が終わるのは、命が終わる時か、残されは時間が一瞬の時か。どちらも良いものではないな…。
そんなことを今さら思う自分に対して、ふっ、と笑ってしまった。私には「残りの命を大切に」と脳に刻み込まないとね…。
___太陽の下
『太陽の下で』
太陽の下で
濃い影が映る
私のあとを
どこまでもついてくる
ひとり影踏みあそび
とたん、と、たん、と
足を動かし
子犬のようについてくる
影を揺らして
「太陽の下で」
限りある時間
生きるを活かしたい
太陽の下で
太陽の下で生きている私たち
太陽の下でしか生きられない私たち
今日も太陽の下
生活を営んで
泣いて怒って笑って喜んで
昨日を飛び越えて
明日を紡ぐことができる
感謝しか、ない。
−太陽の下で−
二人の影。大好きな親友と手を繋いでいる影が、
一番好き。
「太陽ってなんで酸素ないのに燃えてるんだろう?
なんか私達と一緒みたい。」
「そうだね。何で燃えてるんだろう?
てか何で私たち?」
「だってほら何が何でも絶対に心通じるみたいな?」
「あー。確かにそうかも。」
親友がそんなに思ってるなんてすごい嬉しかった。
私は太陽になりたかった。
太陽の下で、辛い現実なんて知らないまま、みんなに笑ってて欲しかった。
けどそんな都合よくなんていかない。
みんなは今、月の下で暮らしている。
太陽の下で暮らしているのはもう小さな子供しかいない。
この現実に、誰か気づいて。
太陽の下で、今日は何をしてますか?
僕は何をしよう。
どこにいますか?
僕はどこにいるんだろう。
同じ暖かさですか?
それともアナタにとっては肌寒いですか?
僕は今起きてます。暖かく過ごしてます。
でも何故かこんなに明るく輝いてるのに、
僕は息苦しいです。胸が苦しいです。
静寂さ、何故ですか?
あなたは今どこにいますか?元気ですか?
僕は生きてます。
僕の生きてる感覚がとても苦さと感じてます。
アナタは今どんな感覚ですか?
手を伸ばしても届かない。あの太陽ようだね。
中原中也の言葉が響かなくなりました
ただ活字のつらつらと流れるままを
染みる傷無く追うだけなのです
きっと、私の終わりは近いのでしょう
ダリの絵に不安感を憶えなくなりました
縁も所縁もない情動を心に携えて
ただ座る椅子を探しているのです
私はもう、息を吐くことすら億劫でしょう
密かにある街を求めていました、
それは恩師の故郷でありました。
燐火さながらの私の世話を、焼いてくれた彼の人の
しかしもういい、いいのです
脱け殻同然のからだを、温めようと袖を通した
ヒートテックで首がつまってどうも生き苦しかったので……
ここがさいはて、わたしのはて
あなたの故郷へもういけません
この身がその地を踏もうものなら
恩師を恩師と思うことすら、きっと忘れることでしょう
夏休みの終わりかけ、やっと宿題を終わらせた私は、自由解放中の学校に向かった。
肝試しでもなんでもないが、唐突に行きたいと思った。
屋上に走っていき、扉に手をかける。
開いた途端、綺麗な風が頬を通過する。
嗚呼、生きているんだと実感した
今、太陽の下で。
運動会という行事が、俺は本当の本当に大嫌いだった。
騒がしい、暑い、疲れるの三大嫌い要素が重なる最低な行事だ。
散歩が趣味なお陰で持久力はあるが、協調性や身体能力が全く備わっていなかった俺は、皆でスポーツをするその日が本当に嫌いで、競技に出る回数を極限に抑えたとしてもどうでもいい勝ち負けを見届ける為に炎天下の中を半日以上座り続けなければならないことに苛立ちさえ感じていた。
日焼けするだけの日。正直、その日だけ学校をサボり、一日中読書していた方が何倍も有意義だとさえ思っていた。
……何だか勢いに任せてボロクソに言ってしまったが、もちろん個人的な意見であり、各組のイメージを元にした旗のイラストはよりどりみどりの個性的で、毎年どんなものが仕上がったのか楽しみだった。だから、完全に悪いだけとは思っていない……と、保険をかけておく。
今は冬に片足をつっこんだ秋だが、今年の夏のような炎天下で散歩をしていると、嫌でもその行事のことを思い出すのだ。
太陽の下で
太陽の下で
今日はいい天気だねって
伸びをして
そのまま
行き先は決めず
プラッとお散歩
そんな
ありきたりな事がしたい
まだ明るいうちに
外を普通に歩きたい
ハヤクニンゲンニナリタイ
「太陽の下で」
太陽の下に放浪するわたしをいつも美しいと思って貰える頑固な愛が欲しい。
太陽の下にいなくてもわたしはわたしなの。
この不器用な人型だけを陽の光が照らすのではなくわたしは内在された心にも煌めきが欲しいと願っている。
陽の光はひとときの光沢をもつのだから
私も長い生きている時間にもひとときの光を作り出せる表現を生み出していかないと私の人生は好きじゃないものになってしまうね。
太陽の下で
大きく腕を挙げて
背伸びをして
目一杯光を浴びる
背筋も伸びて
気持ちいい
そんな朝のはじまり
太陽の下で
二年前の春先、今までに無かった
病気が流行り始めた。
病気がどんなものかも分からず、
外に出るのも、恐ろしかった。
あの時、
太陽の下で自由に動き回れるのが、
どれほど幸せなことなのか、
身に染みて分かった。
また、出逢えるかな
また、笑い会えるかな
また、話せるかな
また、付き合えるかな
また、君と
また、太陽の下で
一緒に居られるかな、