『善悪』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
善悪、悪い人と善い人。
今回は古い書物からではなく、経験談としてのお話です。
あるシェアハウスにやってきた少年。
ここには数人住んでます。初日はふた周り上のAさんはよく話してくれて、気さくで、優しい方だった。
だが、その数日後少年はある日、リビングでスマホを触っているとふた周りも年上のその男性から怒られた。
理由はトイレやお風呂を汚したから。少年はその身に覚えはない。汚した記憶はない。
急に血相を変えて、殴りかかられてもおかしくない状態。
少年は冷静に話すが、向こうは喧嘩腰に「もうでていけ」、「もう汚すな」などと言ってきた。
少年は「今後の生活もあるので考えます」と答えた。Aさんは「喧嘩売ってんのか?」。
少年は「売ってないです」。
この1件からAさんは姿を現すことが少なくなった。
その数日後に、Aさんは急にシェアハウスから居なくなった。
何も言わず。
元々、クレームは数人から来ていたそうだ。
少年はそのAさんのことは何も思っていない、尊敬できる所もある、そう思っていたし仲良くもしたかったのに…… 。
そのAさんの中には善い人(心)と悪い人(心)が居るようだ。
#31 善悪
世界の何がどれだけ機械仕掛けになろうとも
善悪だけは、人間が問い続けなければならない
善悪の判断は相対的なもの。だから客観的に判断するための基準として法律とかルールがある。でも最近は立法する立場の人が客観視できていない気がする。当事者意識って全部が全部正しいわけじゃないと思うんだ。
学食で今人気なのはこの大きなカップケーキだ。ふわふわのクリームに、キラキラしたなにか……飾り。添えられたクッキーは花のデザインをしている。インスタ映えというのはこういうものを言うのだろう。今はインスタよりもTiktokだっけ。わからない。
ひとつ注文したあと、自分ひとりで食べ切れるか心配になった。周りを見ると、友達とシェアしていたりする。聞こえてくる言葉は「カロリー」「ダイエット」「食べきれない」などなどだった。
「……」
ダイエットとか知らない、と大きく口を開けて食べ始める。自分の見た目が太っているのは知っている。太ましい、なんて言葉では言い表せないほどに。
学食に来たスポーツ学科の男子たちが自分を見てなにか笑っていた。馬鹿にされることは悲しいことに慣れていた。と、その時、シェアして食べていたはずの女の子たちの視線がギンと鋭くなった。
つん、と周りの女の子たちにテレパスとアイコンタクトが送られていき彼らを針のむしろにしていった。
そうか。ああやって戦ってくれる人がいるのか。わたしはカップケーキにまたかぶりついた。おいしい。
『善悪』
偽善はよく聞く。
偽悪はあまり耳にしないが、言葉は存在する。
善悪にも偽物があるらしい。
では、本物の善と悪は、何をもって本物なのだろうか。
【やらぬ善より、やる偽善】はよく聞く。
何もしない善は、そもそも善なのだろうか。
言葉は知っていても、わたしには、わからない。
上の疑問がわかるようになる日が来たらいいな。
‐ゴッホ・アーモンドの枝‐
叩か 貴 う世 一此
きく 方 らの 人の
ても の な美 背世
ゐ我 情 くも 負の
るが 熱 描醜 ひ全
胸 全 くき て
を て も を
が
自由でいい
好きにいい
眞つ白な人生と云ふ
キャンバス
好きに描けばいい
刻に自然の偉大さ
人々の營みに
胸打たれ
惱み苦惱し
挫折し彷徨ひ
一人の言葉に
人々の眞心に
支へられ
感謝し涙し
試行錯誤し乍ら
間違へ乍ら
すれ違ひ乍ら
立ち止まり乍ら
思ひあい乍ら
啀みあい乍ら
人生は自分のもの
自分のために
生きればいい
アーモンドの花びらが
舞ひ上がる
木枠の向かう
自由の世界
あなたが愛した
此の世界がある
善悪。
善悪は
本当はいいのに。
こないだから
善が
悪い気がする。
善悪は
半分半分?
私は4:6がいいな。
昨日、蟻と芋虫の争いを見てて
結果として蟻が勝つんだけど
これを善悪づけするなら。
実は傍観者でしかなかった
私が悪になってしまうよねぇ。
⚪︎善悪
善悪
子どもには、良い悪いの判断は難しい
大人でも、考え込んでします
自分がされていいこと、悪いことってのも一つの観点。
家族に言えることがどうかってのも観点としてある
そうは言っても簡単に判断できないこともえる
善悪の彼岸判断は簡単ではない
「善悪」
善も悪もあるか。
この世は強者、権力を持つ者のためのもの。
ピラミッドの上のやつらが甘い汁吸う為のシステムなんだよ。
どんな団体でもそうだよ。
善なんかねえよ。
バカをみるんだよ。ボサッとしてると。
善悪があるからこの世は成り立っている 我は悪魔そして勇者 この世界を支配し輪廻するものなり 人間がいるから
環境がコワレル 一刻も早く消さねば 頼むぞ、我の忠実な
下僕たちよ 頼りにしている
天地四方
視る闇に描く
縁取る空間
赦された世界
創る想い深く
思想の回路
止まるは時空
「私が歪めた孤独に・・・」
光の具現に
彩られて 魅せられ
注ぎ込む 息吹
闇を照らし
鮮やかに 煌めいて
呟く聲の 吐息
「私が溢れ流した雫・・・」
残酷な程に
綺麗に拡がる
哀しみの故
美しく堕ちた
朱黒の・・・
〜善悪〜
善は悪で、悪は善と感じさせるこの世界。
嫌な世界に生まれてきたな。
善悪…人それぞれの尺度によるものだと思う
当然越えてはならない一線はあるけど
自分にとって善でも他人には悪と映る事もある
その逆で自分には悪でも他人には善となる事も。
まぁ難しい話
善悪
ってなんだろう?
善悪と決めるからややこしくなるのかな
善も悪も同じものなのかもしれないな
舞華
『善悪』
善悪なんてころころ変わる。
人によって違うのは当たり前だけど、
状況や気分によっても変わってしまうから、
昨日善だと思ったものが今日は悪かもしれない。
本当に不確かなもの。
善人にも少しは悪なところがあるし、
悪人にも少しは善なところがある。
と、僕は信じていたい。
自分が悪になったとき、全人類から「お前は悪だ」と責められたら怖くて悲しくて泣いてしまうから。
だから僕は絶対的な悪はないと思うし、絶対的な善もないと思う。
嫌われ者のあの人にだって、きっと善いところはあったんだ。あの人が亡くなったら悲しむ人は必ずいる。
善悪
どんなときも
神さまは善
こんなひどいことがおきるのかと
死にたくなる時も
どんな時も
神さまは善
理解不能の出来事があっても
そこには
“愛しています”
という語りかけだけがある
神さまの愛をうけとるか
拒絶するかは
その人しだい
涙と鼻水だらけになっても
どんな醜態をさらしてもいいから
“ください”
そう言えた人から
幸せになる
諦めているものはすぐわかる
それは
その人が
持つことをゆるして
いないもの
新しいなにかではなく
いまあるものに
すべてある
探しにゆくのをやめる勇気
それが人間を
幸せにするのだ
善悪、、良い事と悪い事
ありがた迷惑がストンと落ちてきました
善悪
どっちが良いとか
悪いとか
結局の所この世界には、どうでもいい事です。
だから大事なのは、
貴方が
「どう思ったか」
「どう思いたいのか」
それをまず見つめる事。
気付く、動く、始まる、
それで一人一人のストーリーが華やかにも色づくと考えると、
わくわくしますね!
私も始めねば(笑)
世界より自分大事に!自分が世界です!
貴方が、この世界の神様です(笑)
善悪とは…
なんなんでしょうね~
今 偶然 仮面ライダーを観てた所で それこそ善悪が分かりやすい感じですが 正義の味方にも間違いがあり 悪者役にも そのキャラにも正義があり それこそ そんな事言えばキリがないのですが 要は自分の心と相手を思いやる気持ちのバランスの問題なのかと思ったりします。
あなたの正しいモノは何ですか?
親 先生 職場の人 先輩 自分 作家 物語の主人公 友達 etc … あげればキリないくらい人は影響されやすいですよね(笑)
自分の思う善と悪
どちらも自分自身なのですから 寄り添って 少しだけ他人にも善を おすそ分けできる人が増えていく社会になって欲しいと思う私です。