『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
壊れそうで壊れなくて
壊れないと思えば壊れたり
思わぬところから そう泡沫のように
──友情
友情
嬉しいときには喜ぶ
悲しいときには話を聞く
寂しいときには一緒にいる
なんでもないときでも。
(友情。)🦜
あのね。
すずめ、・・にも、
友情は
有るんだよ。🦜
(以前の事
だけどね。)
「羽根を
怪我した、
僕の、友達が、
・カラスに
虐められて
居たんだだよ。」🦜
(でも、雀は
カラスに、
勝て無い。)
・だから
一生懸命に・・。🦜
《いつもの
優しい
おじさん。の所に
飛んで、
行って。》
✣カラスを
懲らしめて
もらったんだよ。🦜
大学を卒業してから、三十年以上会っていない友達の訃報を聞いた。
偶然、共通の友人だった人と再会した折に。
少し神妙に、そっか、知らなかったな、と返したものの、特別な感情は湧かなかった。
確か、仲良かったんだけどな。
大学時代、お互いの彼女を連れて、四人で遊んだっけな。
サザンが好きで、湘南に憧れて、中古で買ったポンコツ車で、江の島までドライブした。
帰りのガソリン代が危うくなって、なけなしの1000円分給油して、何とかギリギリで家に辿り着いた。
今はもう、満タン給油が当たり前。
飲み会の後は帰りたくなくて、ガードレールに座って朝まで話し続けた。
話した内容なんか覚えていない。
きっと、今の自分にはどうでもいいこと。
でも、あの頃の自分達にとっては、熱量ハンパない話題だったんだろうな。
俺が彼女にフラれた時は、夜通し男二人でカラオケで歌った。
サザンばっかりだった。
いとしのエリーとか歌っても、歌が下手すぎて何の感情移入も出来なかった。
でも、しんみりすることもなくて、それが逆に良かったんだよな。
ほら、たいした思い出もない。
あいつの顔だって、ぼんやりとしか覚えていない。
だから、そっか、で済ませたんだろうな。
夜、昔の写真を引っ張り出して、あいつの顔を見つけた。
何故だか分からないが、とめどなく涙があふれ出した。
年をとるにつれて友人と呼べる人の数は少なくなっていった。環境の変化だったり、価値観の変化だったり、原因はいろいろあると思う。そんななかでふと、考える。友情って何だろうと。
かつて、私のことを「かわいそう」と哀れむ人がいた。家庭の事情、病気や手術の事を踏まえた上で。いやいや、私からしたら「何が?」である。今、自分に置かれた状況は重重承知の上。今の自分を不幸だなんて思わない。むしろ、今の方が過去よりはるかに幸せだ。かわいそうかどうかは赤の他人が決めることじゃない、私が決めること。
となると、本当の友情ってやつは極めて少ないなとつくづく思う。痛感。まさにこれ。
友情は人の出会い方によって価値観が変わるものだ。例えば、好きな趣味や困難な問題などを一緒にできる友達がいれば、友情は大切だと思うだろう。しかし、そういった友達がいなかったり、誰かに裏切られたりしたら、友情は大切なものではないと思ってしまう。世間一般的には、「友情」をテーマにした作品や物語は、だいたい友情の大切さを物語ることが一般的で、友情が大切じゃない、なんていう作品は私は見たことがない。だけれども、世の中には友情が大切ではないような体験をした人がいるはずだ。そのため、このような友情の大切さの個人の価値観と世間一般の価値観の、いわゆる誤差を感じ、人の友情に対する価値観の決定に関してさらに不思議に感じた。
大切な友がいる
自分の半分じゃないかと思うぐらい
悲しみや喜びを一緒に感じ
悲しみは半分
喜びは2倍
もう何年も逢えてあえないし逢える気もしない
だけどいつもいつも存在を感じ
感謝している
ありがとう
『友情』
結局ずっと友達でいるなんてことは
そんなに簡単なことじゃないし
何人もいるわけじゃなくて。
でもその中でも残った友情を
大切にしたいと今思えてる。
だから私は幸せなのかもしれない。
年齢を重ねるにつれ距離が離れてくのが
少し寂しい、気持ちはすぐ隣にあるんだが
みんな今なにしてる?
【 友情 】
友情とはなんなんだろう
友情とはあった方がいいのだろうか
友情とは恋に繋がるのだろうか
友情とは一人一人が持ってるのだろうか
友情とはすぐ消えてしまうのだろうか
友情とは信じてもいいのだろうか
友情とはこれからもずっと大切にしていいのだろうか
皆さんの友情とはどんなのですか?
友情とは〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
かなしい、醜い、
苦しいことばかりの世界を
きみと一緒なら
明日も生きていける
「友情」
#470
「友情」
本当の友だちを作る事は
とても難しい
学生の時
もう少しまじめに
君と向き合っていたら
ふたりには
もっと違った未来が待っていたのかな…
「友情」
そこに行くといる。
いないと心配になる。
遊ぶと楽しい。
たまにけんかすると
違う人が慰めてくれる。
そこには緩やかな友情があった。
君崩る 行く手も知らぬ 情あれば
言の葉なきまま 肩を貸さむ
#8 友情
「うざいのよ、あんた!」
親友の杏奈がいじめられてる。
でも、助ける勇気なんかない。
「もーやめてよ…助けて、美里…」
「…」
そんな日々が続いて半年経った。
「もう学校くんじゃないわよ、この…!!!」
いじめっ子が殴ろうとする。
「や、やめてよ!!」
とっさにかばってしまった。
「は?何よあんた!!」
結局ふたりとも殴られてしまった。
「…なんで庇ったの?美里も嫌なことされるだけじゃん!!そんなことしなくていいよ、」
「確かに、庇わないほうがよかったかもね
でも私、後悔してないんだ。見捨てるより、
今はよっぽど気分が晴れてるから。」
私は大きなものを失った。
クラスでの立ち位置、虐められていない充実した学校生活、痣のない身体。
でも、同時に大切なものを手に入れた気がした。
「いつになったって私達は仲良し同士でいようね」
「約束だよ」
この友情は、手に入れられたから。
薄い友情はすぐ途切れて
強い友情は生を共にするんだ
君と僕はそうなる予定だったのにな
細くて薄い友情だけが
僕だけを君の世界から通報させたんだ
185テーマ【友情】
ほんとポエム好きね(
友情とは何か?
たぶん、自分たちだけ、自分が勝手に思っているだけのものだと思う。相手は自分のことを友達と思っているか分からないし、もしかしたら嫌われているかもしれない。だから、人間関係は難しいし、疲れる。
人とトモダチになると友情が発生する。
古来からずっと変わらない。
純粋な友情もあれば、禍々しい友情もある、
二人の間に挟まれる友情。
弾けた友情。
永遠に続く友情。
死んでも友情は消えないらしい。
友達がいるから偉いわけでもない、本当に心を開ける人こそ友達と称していいだろう。
私の周りの友達と呼べる人は二人。彼女達とはお互いに相談するし、愚痴も聞いたり、聞いてもらったり。
依存し過ぎず、お互いの生活が優先であり。
その束の間の息抜きに連絡をとっている。
会社関係でお友達たくさんアピールをする方がいらっしゃる。
「仲間(友達)が何してくれた」
「どこへ行ってきた」
「皆で大勢集まってバーベキューした」
圧倒的少人数派の私は、だから何?それ楽しいの?
って思ってしまう。会社だから楽しそうですね。なんて言うけれど。
何人も集まったパーティの席で、その人一人だけ見てることはないけれど。自分が一番と思っている人に限ってそう思い込んでいる。
思い込みの力とは凄いらしい。自信が無いことへの劣等感から大した努力もせずポジティブシンキングだけを貫き通すと脳が何に自信が無かったのかを忘れて
何も根本は改善されていない
自称・自己肯定感が高いナルシストが出来上がるらしい。本物の自己肯定感が高いとは他人への承認に依存したりしない、つまり自分の機嫌は自分でとれるということなのだろうから。
その方はナルシストであろう。
ネットの話しだけど、私はつい納得してしまった。
一人一人が主人公とは言うけれど、私は貴方の物語の引き立て役にされるモブじゃない。
だから仕事なら仕方ないこともあるけど(生活のため金は必要なので妥協や忖度も勿論する)
プライベートまでお友達マウント取られる筋合いはないのだ。
その人は男が飯をよそるのはまずまずしい(不味くみえる)とい言っていた。お茶くみは女性がやるものという古臭ーーーい風潮と同じ意味だ。
ナルシストな上に頭の中まで時が止まっているのだろうか?
少なくとも私の友達と呼べる人達とその配偶者、子たち含め。そんな時代錯誤で未だに昭和を生きてる発言なんかしない。
類は友を呼ぶという、私の周りは私の好きな大切な人達だけでいい。マウント取られて、ムカついたり。理不尽さに泣きたくなる時ある。
そんな心のゴミはさっさと片付けて、友達と会って話す時のネタにしてくれるわ。
というわけで、今からリア友とオンラインゲームして
遊んできます。
趣味があって、どんなに一緒にいても疲れない、なんでも話せる人。一つ選択が違ったら、会えなかったのかもしれない。どんなことがあってもそばにいてくれる人は、なかなかいない。これからも大事にしよう。