友達がいるから偉いわけでもない、本当に心を開ける人こそ友達と称していいだろう。
私の周りの友達と呼べる人は二人。彼女達とはお互いに相談するし、愚痴も聞いたり、聞いてもらったり。
依存し過ぎず、お互いの生活が優先であり。
その束の間の息抜きに連絡をとっている。
会社関係でお友達たくさんアピールをする方がいらっしゃる。
「仲間(友達)が何してくれた」
「どこへ行ってきた」
「皆で大勢集まってバーベキューした」
圧倒的少人数派の私は、だから何?それ楽しいの?
って思ってしまう。会社だから楽しそうですね。なんて言うけれど。
何人も集まったパーティの席で、その人一人だけ見てることはないけれど。自分が一番と思っている人に限ってそう思い込んでいる。
思い込みの力とは凄いらしい。自信が無いことへの劣等感から大した努力もせずポジティブシンキングだけを貫き通すと脳が何に自信が無かったのかを忘れて
何も根本は改善されていない
自称・自己肯定感が高いナルシストが出来上がるらしい。本物の自己肯定感が高いとは他人への承認に依存したりしない、つまり自分の機嫌は自分でとれるということなのだろうから。
その方はナルシストであろう。
ネットの話しだけど、私はつい納得してしまった。
一人一人が主人公とは言うけれど、私は貴方の物語の引き立て役にされるモブじゃない。
だから仕事なら仕方ないこともあるけど(生活のため金は必要なので妥協や忖度も勿論する)
プライベートまでお友達マウント取られる筋合いはないのだ。
その人は男が飯をよそるのはまずまずしい(不味くみえる)とい言っていた。お茶くみは女性がやるものという古臭ーーーい風潮と同じ意味だ。
ナルシストな上に頭の中まで時が止まっているのだろうか?
少なくとも私の友達と呼べる人達とその配偶者、子たち含め。そんな時代錯誤で未だに昭和を生きてる発言なんかしない。
類は友を呼ぶという、私の周りは私の好きな大切な人達だけでいい。マウント取られて、ムカついたり。理不尽さに泣きたくなる時ある。
そんな心のゴミはさっさと片付けて、友達と会って話す時のネタにしてくれるわ。
というわけで、今からリア友とオンラインゲームして
遊んできます。
7/24/2024, 11:02:35 AM