『冬休み』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
冬休みといえば
クリスマスあり、お正月あり、誕生日あり。
お小遣いで買った欲しいゲームソフトが懐かしく
必ず父の体調不良で細々と祝ってもらった誕生日も懐かしい
冬休み
休みは嬉しい
でも
嬉しいことが来るのは
同時に怖い
始まってしまえば
必ず終わりがくる
どんなに嬉しいことでも
必ず不安もある
私にとってのプラスは
いつもマイナスと一緒にくる
性格だからしょうがない
わかってるんだけどね
冬休みが始まった。
始まったというのに、僕はあの人の連絡先も聞けぬままだった。
もう潮時なのだろうか。
子供の頃は夏休みも冬休みも待ち遠しかったけれど今はどちらかいうと気が重い
どこへ行っても混んでいて行きたい場所は休業だったり 帰省しても普段同様かそれ以上にバタバタと忙しいうえに気も遣う
自宅にいても家人がいると三食の準備に悩みゴロゴロしていられない 普段の休日が恋しい
亭主元気で留守がいい
…なんて誰が言ったか名言だなあ
#冬休み
休みの日だから夜更かししても何も言われないし
どれだけ寝てても起こされないけど
始業式が近くなると
体内時計戻すのが大変になっちゃうね
─────『冬休み』
冬休み…
私に冬休みらしい長い休日はないが
一日のうちで休む時間はある。
今はスマホがあれば退屈しない。
ルールはひとつだけ、課金はしない。
昨夜、声を診断するというのをやってみた。
短い文章を読み、AIが診断する。
自分の声は、歌手の誰の声で構成されているか?
結果はすぐに出る。
さすがAIだ。
aikoの比率が半分以上らしい。
aiko…あの子か。
あの子の歌、嫌いじゃないよ。
声が似てるならカラオケ練習してみるか。
近くで見ていたばあちゃんにもやらせてみた。
結果
あいみょん64%以上
「あいみょん、いいなあ」と言う私に
ばあちゃんは答えた
「だれ?」
(冬休み。)🦜
あのね
すずめ、には・・・・
冬休み。は無いんだね。🦜
(でもね)
「冬は、日の出が遅いし
日の入りも早い。」
✣だから、朝寝坊が
出来るし
早寝も出来るんだね。🦜
✣年の瀬は、人間、しゃん。の
食べ残したケーキや
ご馳走がいっぱい有るから。
✣食っては、寝てばかり
して居ると肥るんだよ。🦜
【年明けは、初詣のお願いを叶える
為の眷属のお仕事が沢山有るから
大日如来、様。から
ダイエット、しなさいと
言われて居るけど。」
✣此れがまた・・・難しいんだよ。🦜
❞仕方無いから、お正月におめでたい。
・ふくら雀。に成りました。と
言い訳するけど ❝。
❣全て、お見通しなんだよ。🦜🦜🦜
今日から長い冬季休暇。
冬休み。
さてさて、なにしようかな〜
と、期待に胸を膨らませながら家に帰る
でも、宿題あるんだよねぇ
それを考えると気が重い、
でも、まそれはそれこれはこれ
冬休み/夜凪
「冬休み」
学生がいない朝の通勤電車は。
何だかものさみしい気がするのよね。
プリントも書き初めも 全部年内に終わらせて
おじいちゃんの作った砂糖がどっさり入った
甘じょっぱいすき焼きを食べて
あとはこたつでぬくぬく
「冬休み」
今日から1週間お休み
年甲斐にもなく
休みに入ったこの瞬間
たまらない
2,3日でやる事もなくなり
暇や〜って言ってる自分が
見えるけど…
とりあえずにんにく食べよ
そしてビール!
休み明けには
匂いがとれますように
「今」
何かしらの行動、何かあり、何もない。
人生は、なんだろう。
人として生きている今。とてもありがたく思う。
その時の「成功」や「失敗」は人生としてみた時、「主観的な出来事」でしかない。その時の成功は、未来の失敗につながることかもしれない、その時の失敗は、未来の成功かもしれない。
起こったことを深く考えずに、起きたことにより「自分は何をしたいか」を問う方が良いんじゃないかな。
ありのままの自分。
僕のありのままは、無邪気な時なのかもしれない。
それは「5歳児」の僕。
素直で、優しく温かい一面とは裏腹に、負けず嫌いで、調子に乗り、他者を疲れさせることもある。
それでいい。それでいい。だからいい。
冬休みはラブライブの
真姫ちゃん、かすみちゃん
ちかちゃん、クゥクゥ・・・・
後はは名前分からんけど
後、プリキュアのキュア
ダイヤモンド・・・とかこれ
話すと長くなりそうだわww
今さらだけど、なんで泣けなかったんだろ?
去年の冬が終わる頃、
とても長い間過ごしたオアシスがなくなった
退屈な日々の中で
そこで過ごす時間だけが、僕の輝きだった
最後の2時間
一緒に過ごしたみんなが泣いていた
でも僕は泣けなかった。泣かなかった。
その瞬間は哀しさより楽しさが勝ってたのかな
あれから9ヶ月
未だに自分に問いかける
未だに答えは出ないけど、
あの時間たちは
未だに僕のオアシスだ
#冬休み
冬休みに入って
学生の姿が昼間ちらほら
街に見える
寒くないのかな
強い
強くて 脆い
その青い春が過ぎるまで
学生たちは
学生たらしめる
冬休みは嫌いだ。
12月24日 15:30
起立、気をつけ、さようなら
放課後を告げる号令とともに、教室内には解放的な空気が堰を切ったように流れ込んできた。それもそのはず。
「明日から何しよっかなー」
「俺は部活だ」
「てか国語の宿題多すぎない?」
「絶対正月太りしちゃう、今のうちに痩せなきゃ」
「てか明日クリスマスじゃん」
この時期になると、目の前のクリスマスと少し先に見える正月のことでみんな頭がいっぱいみたいだった。
でも自分は、冬休みが嫌いだ。
なんでってそりゃ、部活の冬練がキツいから。
目が覚めた。冬休み初日、朝早く部活に行く為だけに起きて、校舎内を延々と走り、時にはサーキットトレーニングをして、最後は部員全員で筋トレ。
これだから、冬休みは嫌いなんだ。
単調なメニューは飽きるし、外でノックを受けたい。
あっ──────
校舎内をランニングしてる途中、音楽室から合唱部の歌声が聞こえてきた。この声の中に あいつ も居るのかな。なんて考えると、少しペースが上がった。別に見られてるわけでもないのになんて健気なんだ。思春期の男なんてそんなものでしょう。
いつも通り部活を終え、玄関で靴を履き替えていると偶然にも あいつ に出くわした。自分も向こうもお互い友達を連れてはいなかった。内心の高揚感を悟られまいと平然とした態度を貫いて挨拶する。
「おつかれ」
「おつかれ〜!今日野球部も部活だったんだね〜」
「うん、マジで筋肉痛になる、てか──」
合唱部もまだ部活あるんだ、なんて言葉を遮ってきたのはあいつだった。
「駅まで1人?私は見ての通り1人」
冬休みは嫌い、だった。そのはずだった。
本当は、あいつになかなか会えなくなるのが嫌だった。
部活なんてむしろ、あいつに会えるチャンスでもあるから頑張れた。それでも会えないことが多かった。
だから、冬休みなんてなくていいのになって思ってた。
でも、今日は雪の上に2人の足跡が並んだ。
こんなことなら、ずっと冬休みでいいのにな。
「冬休み」
今絶賛冬休み中。
冬といえばみかんだけれど、値段が上がってしまい、気軽に食べれないものになってしまって悲しい。
休みの間に、本とか好きな歌舞伎とかたくさん見たいとは思っているのに、結局スマホしかしないのやめた方がいいと思う。
【冬休み】
受験生の冬休みは、休みじゃない。
勉強をしなければいけない。
でも身体が怠けてしまう。
冬休みに入って数日…私はまだ一度も
午前中に目を覚ましたことがないのだった。
『冬休み』
今は休みが欲しい。でも3日以上続くと、妙に体がうずうずする。
根っからの働き蜂、なんだなーって思っている私。
今も昔も長い休み、夏よりも冬の方が印象に残る。
その分休んでいるんだなと思った。
冬休みというものを嬉しいと思ったことは一度もなかった。夏休みとは違いその期間は著しく短く、なのに宿題という要らないオマケは変わらずについてくる。それだけでも不公平だというのに、冬休みには夏休みほどの楽しみな行事がない。クリスマスはいいだろう、あれだけは確かに良いイベントだった。両親から、そして後に父が扮していたと発覚するサンタさんからプレゼントを貰えて、イブの夜には母が私と妹の好物を夜ご飯に作ってくれた。
しかしそれ以外はどうだ。自分の好きな歌手が出ない紅白歌合戦には何の意味もなく、私の子供時分にはまだ「ガキ使」のようなバラエティ番組を見ながら年を越す、といったことはなかった。そして0時少し前ぐらいになると、好きでも嫌いでもないカップの蕎麦を用意され形式的に食す。そうして年を越し就寝し、寝る前に会ったばかりだというのに目が覚め新年になったというだけのことで家族達への挨拶は「あけましておめでとう」。子供ながらに、この違和感だけはずっと拭えなかった記憶がある。
食わず嫌いかつ偏食気味だったため、おせち料理もお雑煮も好きではなかった。初詣は質素なもので、徒歩十分ほどの距離にある地元の小さな八幡神社へ家族揃ってお参りへ。もっと有名で、出店などが出ると聞く大きい神社への初詣に憧れていた時期もあったが、私は人混みが苦手なのでこれに関しては別に良かったのではないかと今なら納得出来る。父も人混みが嫌いな人間だ。かと言って、車で送迎だけして車内でただ待つことに対してもあまりよく思わない人だ。そういう色々な理由の元、我が家での初詣はあの形で落ち着いたのだろう。
元旦が過ぎ、二〜四日ほどの間の何処かで父方の祖父母の家に行くイベントがあった。我が家の父は婿養子として母方の実家で共に暮らしており、結婚を機に母方のものへと姓を変えている。母は一人っ子だが、父は五人兄弟の下から二番目だとか、それぐらいの序列であった。父方の実家の隣には一番上のお兄さん夫婦とその子供(私たち姉妹と一番年齢が近い男の子兄弟)が暮らしており、ハッキリ言ってもうあの家に父の居場所なんてものは無いに等しかった。
娘の私から見ても父は相当な変わり者で、嫌な人間だとか性格が悪いだとかではないのだが、他人の感情の機微に疎い、情が薄い、他人の気持ちがわからない、まさに薄情と言えるような人間だった。だから父は、別に年始に里帰りをする必要性など正直全く感じていなかったのではないかと、今だから思う。それよりも、世間体を気にする母が率先して父の里帰りを決めている、といった感じだった。
父方の祖父も祖母も悪い人たちではなかったが、所詮私たちは外孫。私たちにしたって祖父母にどう接したらいいのかよくわからなかったし、祖父母は明らかに内孫である長男夫婦の子供である男兄弟──つまりは私たちの従兄弟達──を溺愛していた。そんな従兄弟達とは小学校を卒業する頃までは一緒に遊んだり話をしたりと交友を育んでいたが、年頃のせいか、その後は向こうから私たちのことを避け始め、以来ろくに会話もしなくなった。父方の祖父母が亡くなったのは私が二十代になりその半ばか後半辺りに差し掛かった頃だったと記憶しているが、祖父母の葬儀で同じ部屋に居ても、同じ場所で食事をしても、彼らとは一切言葉を交わすことはなかった。ある意味で父方の人間だなぁと感心せざるをえない。しかしながら私たち姉妹にも父の血は通っているわけなので、あまり他人のことを言える立場でもないかもしれない。まぁ要するに、このエピソードの終着点としては、年齢を重ねるたびに父方の実家へ顔を出すのが億劫になっていったという話だ。だからこれも、冬休みに魅力を感じなかった要因の一つとしての責務を立派に果たしている。
このように、幼少期の頃から冬休みというものに思い入れなどなく、また、大学に進学してからはアルバイト、そしてその後十五年もの付き合いとなるパート先が両方ともサービス業であったことが災いし、冬休みという概念はもうずっと長いこと私の中には存在していなかった。それは冬休みのみではなく、ゴールデンウィーク、夏の盆休み等、他の長期休暇に関しても言えることではあるのだが、今回そちらの話は一旦横に置いておくとして。
なんとそんな私に、今年はどうやら冬休みとやらがあるらしい。先にも触れた、十五年勤めた職場を春先に退職し、紆余曲折あったのち夏頃から派遣社員としてとあるお店のネット通販担当、その中でもデータ入力系の作業を主にこなす職に就くことが出来た。お店もネット通販も年末年始は営業をしておらず、営業をしていないということは必然的に仕事も無いということで、十日間の冬季休暇が果たして何年振りだろうか······突然降って湧いて落っこちてきたのである。
けれども、幼かった頃と違い、今の私はこの冬休みに嫌な印象は全く持っていない。それはあまりにも長い年月、冬休みというものと縁のない日々を過ごしてきたからなのか、はたまた年齢を重ねることで感性が変わった、または思い出が風化していきほとんど輪郭のみを残して中身が消えてしまったからなのか、理由には本当に何も見当がつかない状態ではあるのだが。
年齢を重ねると、昔出来なかったことが出来るようになる、食べられなかったものを食べることが出来るようになる、といった変化が度々起こるわけなのだが、今回のコレもそういう類いのものなのか。ここまでの人生、辛いことも苦しいこともたくさんあった。その中で自ら命を断ちたいと願ったことも一度や二度では済まないほど、あった。それなのに私は今に至るまで生き続けてしまって、それを悔いることも有るには有るのだが、しかしこうも思ったのだ。一日一日のたくさんの積み重ねでこの場所まで来て、高く積み上げられた「日々」のてっぺん。「今」という現在地。ここまで来れたからこそ、遙か下方に辛うじて瞳で捕えられるほど小さくなった「思い出」を、こうやってこの場所から見下ろしてやるのも悪くないんじゃないか、と。「大人になる」ということは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。
とりあえず今は、久々に到来した「冬休み」を、大人げなく楽しみ尽くすこととしよう。