『七夕』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
煙草をぷかぷかふかして、尾をひいたドレスに、あの子のアイシャドウに、薬指に、星がぴかぴかまたたいていたことを思い出す、つかまえた花束がよごれないように、背を向けてぷかぷか、今でもあの子の心は星まみれで、その一かけらになりたかった
七夕 非常におめでたい響きだ。
織姫様と彦星様が年に一度、天の川を渡り再会する日。
でも、本当の私は思ってしまう。
何故、見ず知らずの男女の惚気話に付き合う必要がある。
何故、今日に限って短冊に願いを込める。
願いは普段から願ってこその願いにも関わらず、
人々は空を見上げてどうでも良い空想上の男女が
巡り会えたかどうかを気にするのか。
全く理解が出来ない。と。
しかし、この様な文を書く度に、
思いの丈を話そうとする度に、
やはり私は痛感する。
『私は心が欠けている。』
思えばずっとそうだった。
美しい物を見て美しいと思えるはずなのに、
人々が態々集まって見る様な物にはてんで興味を示さず
ただひたすらに気持ち悪いと思ってしまう。
人の気持ちに共感が出来ないのも、きっとそのせいだ。
夢や希望を語るのが好きだ。でもそれは私じゃない。
私の中にいるもう1人の私。
自分で作り上げた都合が良くて、愛嬌があって、
人から頼られて、側から見たら優しいねと言われるあの子だ
あの子は私を押し殺す為に居て、都合の良い時に出て来る。
何とも憎らしくて愛らしい。
本当の私は、こんなにも冷めきっているのに。
本当の私とあの子には、決定的な違いがある。
例えば、努力は報われると信じる人を見て思う価値観だ。
私の意見を綴るとなると、こうも億劫になるが、
裏で努力してると豪語すれば、
人に得意げに話す努力は努力ではないと言われ、
それをヒタ隠せば、否定好きな私は思ってしまう。
誰にも言わずに誰にも認められずにする努力がかっこいい
と思う神経がイカれているんだ。人は、承認欲求から逃げられるわけがないんだから。お前が頑張ろうが、認められなければそれでおしまい。お前だけの黒歴史だ。努力をしている自分に酔っただけの青春ごっこは、さぞ楽しかったか?と。
あの子なら、こんな事絶対に言わない。
あぁ、またやってしまった。
そして私は最悪な気分になって床に着くのだ。
夢の中で考える。あの子はどうだろう。あの子なら、
豪語する彼を見て、凄いね、えらいね、と褒めるだろうか
ひた隠す彼を見ればもっと褒めるのであろうか。
いずれにしてもどちらも努力と言う言葉に変わりはないにも関わらず、隠している方が偉いのか?
自分の意見を隠す事が人に好かれる秘訣なのか?
自分を堪える事が人に愛される秘訣なのか?
そんなわけがない。
人は誰しもエゴイストでいなければ、己を守れない。
独りに慣れていなければ、独りになった時が辛い。
あの子はきっと、独りになったら泣き崩れ、
それを羽虫どもがワラワラと鳥肌の立つ様な励ましと
形ばかりの応援をして来るんだろう。上っ面でぶりっ子
吐き気がするんだ。そんな考え方。甘ったれんな。
きっとあの子が死の淵に立たされたとしたら、
泣こうが喚こうが虚しく絶望するだけだ。
私はそれを嫌う。
人の同情も、底が知れた上っ面人情も、
他人への深い干渉も、己の心に踏み込まれる事も、
他人へ本音を話す事も、嘘の上で成り立つ人間関係も。
全部全部大っ嫌いだ。
そんな私は
今年も懲りずに七夕の短冊に
去年と同じ願いを綴る。
『あの子が私になりますように。』
小さい頃、七夕が好きだった
今も好きだけど、昔は織姫様と彦星様が1年ぶりに再会するというお話が神秘的で、幻想的な天の川がとても好きだった
しかも短冊に願い事を書いて笹につるすのもとても楽しかった
最初は織姫様と彦星様は好き同士だったのになんで1年に1度しか会えないの?って思ってた
でも2人はどんなに離れて1年に1度しか会えないとしても決してぶれない心がとても芯があってすごいな〜って思ってた
こんな恋がしてみたい?!
織姫
彦星
星の形
願い事
天の川
ロマンチック
なのにほとんど曇り空の夜
七夕
お願い事
「世界が平和でありますように」
平和で、安寧、泰平……
皆が望むはずだが
最後が幸福な結末を望むのは世の常
平和のために努力はするけど
維持するために努力はしない
与えられたものを謳歌するのはいいけど
維持するための行動はし続けて欲しいものである
七夕は、織姫と彦星の
1年に1度…唯一出逢える日だったかな。
そんな日に、私も何か願っても
良いのだろうか。
あー、こういう場面で
私は自分の願いが、浮かばない。
私は、誰かの幸せを願ってしまう。
けど、それでも良いよね。きっと。
七夕は素敵だけど
今年は、すこし切ない。
そんな気持ち。
【お題:七夕】
母校に行ったんだ.....
誰も変わってなくて
変わったのは居なくなった人だけ
先生も友達も後輩も
楽しそうで、でもどこか疲れてて
楽しかった。
ただそれだけなんだけど
でもすごく思い出になった気がする
【七夕】
✂ーーーーーーーーーー⚠ーーーーーーーーー✂
子供って親に似るんです
下の子は上の子に似るんです
親がやってる事はいつの間にか子供に伝染してる
上の子が言ってたことは下の子も言う
そっちが言ってたことだ。何が悪い と
そして家族崩壊が起こる
今日は1年に一度の特別な日
あの人に会うためにおめかしする
少しでも長くあの人と一緒に過ごすために
また1年間会えなくなってしまうあの人と
一年に一度、は、実際どうなんだろう?
会えなくて、会いたくて、なんてあったけれど、気移りはしないのかな?
会えないからこそ、募る思いもあるのかもしれないけれど。
会えないからこそ、割りきれるものもあるのかもしれない。
”七夕”に漸く会えた2人が、これから先も続いていきますように、なんて。
願うこと自体が野暮なのかもしれない。
七夕
七夕
友人と連れ立って電車を降りると、駅の改札をすぐ出たところに、七夕の笹が飾ってあるのが見えた。
「もう七夕かぁ。早いね」
定期券で改札を出て、友人が笹に吊るされている短冊をすくって見せる。
「ほんとだよ〜!ついこの間、高校生になったばっかりな気がするのに…。でもせっかくだし、短冊、書いていこうよ」
「あんた…、またお金持ちになりたいとか書くくせに」
「バレた?」
「これで何年目だと思ってんのさ。いい?願い事は、機織りが上手な織姫にあやかって、芸事の上達を願うのがいいんだから」
「分かってるけどさぁ」
芸事が上達しても、彼には会えないんだよ。
遊園地で迷子になって泣いていた私を助けてくれた彼は、大企業の御曹司だから。
彼に会うには、私も同じくらいセレブにならないと。
駅の黄色の短冊には、今年も「お金持ちになれますように」と書いた。
七月七日は七夕ですが、私にとっては祖母の命日。
その日は夏祭りの宵宮でもあり、町中が一年で一番活気がある日だったなぁという記憶がある。
今から50年以上前の七夕の日、末期がんで闘病中の祖母が亡くなった。
痛み止めも使わずに全身に転移した癌の痛みに苦しみ続けていた祖母は、あっけないほど突然息を引き取った。
家族がみんなお祭りの興奮の中で、わいわいしている中、静かに静かに逝ってしまった。
痛みや苦しみの中にあっても、お祭りのお小遣いを孫たちに渡して、楽しんでおいでと送り出してくれていた。だから、そんなに早くお別れすることになるとは思ってもいなかった。
七夕が命日だから、何十年たっても祖母の命日は忘れることがない。
#七夕
今日こそは天の川の終点まで一緒に行けるかな
うちの地域の七夕は8月7日だよ。
8月だったら晴れてる確率が高いし、彦星と織姫も天の川で逢瀬できやすいよね。
めでたし、めでたし。
なのに今日は雨だ。
星が見えない。
梅雨の時期だから仕方ないと言っちゃえばそれまでだけど、年に1度しか出逢えない二人には過酷すぎる。
天候に左右されるの辛ない?
デートの為にお洒落して外に出たのに土砂降りでテンション萎えまくるのと一緒やん。
しかも世の人々の願い事まで大量に託されて。
ぶっちゃけ、それどころじゃないわ、雨だし、無いわーってなるわ。
誰かに優しくできるのは、自分自身に余裕がある時だけだよ。
なので、七夕はやっぱり8月に決行しましょ、
そうしましょ。
【七夕】#21
【七夕】
今日は、七夕。
短冊に何をお願いしようか…
毎年迷うのに、今日は迷わなかったんだ
一人暮らしのつらさを知って、
親の苦労を知って
祖父母の元気さを知って
遠くにいるあの子達が悲しまないように
願うことは一つ
『私の家族が、健康で楽しく生活できますように』
一人の作者は、自分の幸福を願わず、他人の幸福を願った
この言葉がこの願いが
年に1度しか出会えない織姫と彦星に
届くのだろうか?
きっと届く
そう願っている
あれ?私の願いなんだっけ?
七夕
家族の健康と幸せを願います。
これしかない
七夕
この七夕という日は、昔から僕にとって特別な日でした。
それこそ小さな時に、初めてこの話を聞いたときから、この二人が出会うようにと願って、短冊に毎年『大金を下さい』と『織姫と彦星が会えますように』と純情に書き続けています。もちろん、今もです。
皆様もご存知の通り、織姫と彦星は言うなれば、遠距離恋愛をしているリア充であります。
普通ならここで『リア充爆発した』となるの方も多いでしょうが、当時の僕は純粋に心を痛めていました。愛し合う二人をどうして離さなければならないのか、遠距離恋愛でありながら、一年に一度の逢瀬を楽しみに働いているというわけ二人の一途さに、俺はとても感動していました。
今もそれは変わりません。
年に一度、この七夕の日に僕は二人が出会えるかどうかを天気予報でチェックし、曇や雨であれば涙し、晴天であれば、心の底から喜んだのです。
もっともこれは、友人に言わせると、推しカプというのかもしれないなと、苦笑いしていました。
そして中学生になってもこの思いはなくならなかったんです。
そんな夏休みのある日。
お父さんは、僕が七夕への思い入れがあることを知っているから、天文台の望遠鏡を覗くイベントに連れて行ってもらいました。
そのとき、初めて望遠鏡から夜空を見たのです。
巨大な望遠鏡を見える無数の星は、僕にとってとても衝撃的なものでした。とても、くっきりと見える織姫と彦星。そしてその間を流れる天の川。
僕はそれを、自らの目で毎年見ていきたいと。そう思ったのです。
それが、僕が天文学者になったきっかけです。
成し遂げたいことを願うのもいいが、意志より何倍も習慣が大事だ。
毎日少しずつ進めていこう。
「要するに、恋愛にうつつを抜かしたあまり、仕事をサボったバカップルの話ってわけだ」
それだけ返して、君は淡々とマグカップに口をつける。ラップトップPCから目を離さないまま。
「まぁ、身も蓋もない言い方をするとそうなるかもね」
空になったマグカップがそっと回収されていることに、君は気付いているだろうか。
「…ん、トイレか?」
「うん、そんなとこ」
やっぱり、そこまでは気付いていないらしい。でも、かえって都合が良いかもしれない。
キッチンでマグカップと交換したのは、冷えたビールを注いだ、保温保冷ができるタンブラー、2つ。
「そろそろ、星を見にバルコニーに出ようか。お仕事、もう終わってるんでしょ?」
隣まで戻ってそう声を掛ければ、君の目のきらめきが、驚きで大きくなった。
「なぜ、分かった」
「私がそばを離れたことには気付いたから」
本当に集中している時の君はいつも、そういうことすら気に留めないからね。
「さっきまでは何をしてたの?」
さまよった視線が捉えた液晶画面は、チラチラと人工的な光を放っていたが、やがて君の瞼と連動するかのように閉じられた。
「……作業する、フリをしていた。声を掛けるタイミングを、計算しながら」
ああ困ったな、上がった体温でタンブラーの中身を温めてしまいそうだ。
なんて君に言ったら、まず体温計で私の体温を計り始めそうだけれど、そんな君にこそ、君だからこそ。
「それなら、私に教えてくれないかな。七夕伝説は知っていても、七夕の星空のことは詳しくないんだ」
【今年の七夕は⋯】
今日は7/7 七夕だ。
空を見上げると残念ながら雨模様⋯。
どうやら天の川の水かさが増水し過ぎて天から降ってるみたいですね。
織姫と彦星、増水してても川を渡って会いに行くのかな🤔❓
川の真ん中で2人とも流されて天から降ってくるとか?
なんて思いながら雨の空を見上げる⋯。
マジで降ってきたら⋯胴体着陸で2人とも空のお星様だな⋯。
あれ?それだと元の場所に自動的に戻る事になるのか⋯便利(笑)
テーマ【七夕】
七夕は、毎年7月7日に行われる日本の伝統的な祭りである。この日には、星に願いをかけるという習慣がある。七夕の起源は、中国の伝説である「牛郎と織女」に由来しているとされている。
牛郎と織女は、天の川を挟んで暮らしていたという。牛郎は天界で働く牛飼いで、織女は美しい手織りの技術を持つ女性である。ある日、牛郎は織女に一目惚れし、天の川の河原で出会うことができた。二人はすぐに恋に落ち、結婚を誓い合った。
しかし、牛郎と織女が結ばれることを許さない天帝は、二人を引き離し、天の川を挟んで暮らすことを決めた。しかし、牛郎と織女はお互いを愛し続け、ただ一度だけ、天の川を渡って再会することができた。この伝説から、七夕には「天の川を渡って再会する」ことを願う習慣が生まれたとされている。
七夕には、笹の葉に願い事を書いた短冊を飾る習慣がある。笹には、星座のような模様が描かれ、そこには牛郎と織女が描かれることが多い。また、短冊には、あらゆる願い事が書かれる。恋愛や健康、学業など、何でも願うことができる。そして、笹には願い事を捧げ、星に祈りを込めて、天に届けてもらいたいという気持ちが込められている。
七夕は、日本中で行われる祭りである。近年では、商業施設や公共施設などでも笹飾りが見られるようになってきた。笹飾りが飾られた場所には、子供たちが集まって楽しんでいる姿が見られる。また、夜には笹飾りがライトアップされ、幻想的な雰囲気が漂う。
七夕は、日本の文化の一部であり、笹飾りを見るだけでも、心が癒される。日頃忙しい生活を送っている人々にとって、七夕はちょっとした癒しの場となっているようだ。将来的にも、七夕の伝統を大切にしていきたいものである。