『ジャングルジム』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『ジャングルジム』
小さい頃、家に簡易なジャングルジムを置いてもらっていた記憶がある。
猫がいたらジャングルジムで遊んだりするのだろうか。
そんな猫可愛すぎる。
〜ジャングルジム〜
やっほーと叫ぶ声
こっちこっち〜とはしゃぐ声
遊具にはたくさんの元気が詰まってる
まだなんも分からない頃
しかしなんでも心で感じている頃
大人の都合に振り回され
無邪気な心は失われていく
囚われた正解にかたどられ
誰もがおなじものになろうとする
小さい頃に言われたことは
なかなか頭から離れないけど
今その鎖から解き放たれる
私は私で決める
私は私で生きる
かけられた言葉のように私が言葉で解いていく
そう生きるんだ
私の人生を生きるんだ
じ ゃ ん ぐ る じ む
ジャンは殊更
ジムワークが 苦手だった・・・・
ジャン苦しむ
男の子は裸足になり、地面の温もりを感じながらジャングルジムへと足を運ぶ。
彼は白岩山羊のような軽快さでその高みへと登り始める。
てっぺんにたどり着くと、彼は何かを空へと放り投げた。
その動作は、キラキラした四和音のように、周囲の空気を震わせる。
彼は5つ降り、また5つ降り、さらに5つ降りて、地面に戻ってくる。
そして、再び登ろうとするのだ。
とうの昔にジャングルジムを登ることを忘れてしまった大人たちは、ただその様子を見守る。
しばらくすると、大人たちは揺らぐ空気に酔いしれながら、地面の上で踊っていた。
彼ら自身が音楽の一部となり、身体の奥底から湧き上がるリズムに委ね、ジャングルジムを見上げ両手を挙げて踊るのだった。
「ジャングルジム」
くぐって楽しんでいた小さな大迷宮。
次から次へと移って、いざてっぺんへ。
それも今やこぢんまりなオブジェ。
胸が躍る心は、深い底へと迷い込んでしまった。
【ジャングルジム】
ジャングルジム
実家の何軒か先に
かつて公園だった場所がある
小さいながらも
私が幼い頃は遊具があった
夏休みにはそこで
子供たちがラジオ体操をしていた
いつからか公園は
冬の雪捨て場になった
山の麓で雪が多いので
みんながそこに雪を捨てるようになった
1,2年経つと
遊具が雪の重みで壊れはじめた
最初にシーソー
次の年はジャングルジム
先日ふと覗いたそこには
本当に何も無くなっていた
ブランコも
ベンチすらなかった
砂場だった場所だけ他とは違う種類の草が伸びていて
かろうじてここが砂場だったと気づいた
何もなくなった空き地をぼんやり見る
別に思い入れがあったわけでもない
ただ、考えた
かつての姿は無くしたけれども
今この場所は他の形で必要とされ役立っている
公園の名を冠した空き地は
子供達ではなく
その地に住む大人の役に立っている
かつて賑やかだった夏は
今や大人になった私が
犬とふたり、ぼんやり佇むだけ
これが時間なんだと思った
学校の校庭にあるジャングルジムには、ルールがある。それは、鬼ごっこをしてはいけないということ。
でも、禁止されればやりたくなってしまうものだ。
毎年ジャングルジムで鬼ごっこをする生徒は沢山いる。
そして、ジャングルジムから落ちて怪我する生徒も沢山いる。
脳震盪を起こしてしまう子や、骨折する子。下にいる子を巻き込んで落ちる子。
ルールはちゃんと守るものである。
だが、運良く大きな怪我をしなかった子はまた、ルールを破ろうとする。
私はもう学年が上がって、ジャングルジムでは遊べない。
でもきっと、あそこで鬼ごっこをして怪我をしている子は今もいると思う。
みなさんの学校にはこんな場所ありますか?
高校三年生の今。
本当にこの道に進んでいいのか?
この学校でもいいのか?
わたしはやって行けるのか?
多くの思考が 交差する
まるで、『ジャングルジムみたいだね』
……落ちないようにしっかりと手で足で掴むんだよ
よく昇ってた
上にたどり着いた人の勝ち
とかしてたなー
"ジャングルジム"
小学生一年生の私にとって、ジャングルジムのてっぺんに登ることはとても高い壁だった。
登りたいけど、落ちそうで怖い。
いつもそんな不安を抱えながら挑戦していた。
でも、いつも上まで行けずにいた。
小学六年生になって、もう一度挑戦した。
大きく見えていたジャングルジムは、今は小さく見えた。
足をかけて上まで登った。
その足は前より力強かった。
上まで行けた。
挑戦することはとても大事だと分かった。
もうあの頃の私ではない。
「何だか檻みたいだ」
その遊具を見た時の素直な感覚である。
子ども達は我先にそいつのてっぺんに登り、はしゃいだり大声を出したり、何だかとっても楽しそう。
頭の固い大人の見方と、柔軟な子どもの見方とではこんなに違う。
全ての物事もきっとこうなんだろうな。
四角四面でしか物事を捉えられない大人と、様々な方面から物事を楽しめる子ども。
精神的には大人になりたい、けれども柔らかく素直に物事を楽しめる心を持った子どもの一面も大事にしたい。
そんな風に改めて思った、秋の朝。
ジャングルジム
公園にポツンとジャングルジム
幼いころは高くて登れなくて
あんなに大きかったのに
今は小さく見える
雨に濡れたジャングルジム
誰かに遊んでもらえるのを
待っているよう
明日は晴れるといいね
ジャングルジム
小さい頃からジャングルジムに登るのが好きだ
上から見る景色がきれいだから
ここの公園は街を見渡せるような公園だから
夜景を見に来る観光客がたまに来ることもある
で、その公園に、昨日イケメンがいて
道迷ってるっぽかったから話しかけてみたら
優しい声で
ここのジャングルジムから見る景色は絶対綺麗ですよね
っていわれた
分かりみが深いから一緒に登って静かに眺めた
好きです、ずっと前から
頂上で言われた
最初は暗くて分からなかったけど、
小学校卒業してから海外に行った幼なじみだった
もちろん、OKした
#26 ジャングルジム
土曜日の午後、
閑静な住宅街に元気な子供たちの声が響き渡る。
「ここ俺の陣地〜」
ジャングルジムのてっぺんに登って
周りの子たちに自慢する少年。
それに対抗しようと無我夢中で登る少女
ただただ立ちすくむ少年
私は関係ないとほかの遊具で遊ぶ少女
見ているだけで何故か癒された。
「懐かしいなぁ」
久しぶりの土曜日休みで近所の公園に散歩に来ていた私は、遊具を見てあのころの自分を思い出していた。
毎日のように幼なじみと公園で遊んで
遊具の取り合いをしていた。
ジャングルジムのてっぺんを共に取り合った
あの子は今どうしているだろうか。
そんなことを思いながら自販機で
買った缶コーヒーをひとくち飲む。
今度地元に帰ってみようかな。
そんな中で気づいたことがある。
子供時代の争い事は可愛いもんだと思ってしまうけど
大人になった今、社会に出て争うのは訳が違う。
人生ってジャングルジムなのかな。
しぐれ
高いところに登って楽しい。
でも、落ちそうで怖い。
ジャングルジム
久しぶりにジャングルジムに登る夜。背が伸びて今なら星も掴めそうだ。
私はジャングルジムの一番上に登れない人間。
登る時は一番上を目指し、やるぞ、と思っているのに途中から怖くなる。落下するのではないかと足が竦む。
真ん中の方から登れば地面に叩きつけられることはないだろうと易しい道を選んでも、何故か足がすくんだり頭を打ったりして諦める。
いつも一番上まで登った子を一番下から見上げてる。
私の人生もなんかそんな感じ。
ジャングルジム…
保育園のジャングルジムが好きだった。
てっぺんは4段くらいだったと思う。
てっぺんに腰掛けて長い時間を過ごす子供だった。
ある時、手が滑って下まで落ちた。
てっぺんから地面まで。
手足をことごとく打ちながら落ちた。
でも、そのおかげでケガはなかった。
現在、公園からジャングルジムが消えているそうだ。
原因は落下事故の増加だそうな。
子供の頃、よく遊んだ公園にはジャングルジムがあった。今でもあの公園にはジャングルジムがあるのだろうか。
Googleearthで調べてみる。すると、ジャングルジムが撤去されていて、ブランコとすべり台と鉄棒だけになってしまっていた。
昔は、グローブジャングルなどの遊具があったのに。子供たちの安全面のためと言われれば仕方ないのかもしれない。
昔有ったのが、何らかの理由で無くなっていく。寂しさを感じるが時代の流れなのかもしれない。次世代を担うであろう子供たちを怪我から守るためにも。
そうだとしても、やはり寂しさを感じてしまうのは、私が大人になったからだろうか。
追憶の中で遊んだ記憶を思い出すしか、今は方法が無いのかもしれない。
童心に帰りたいのに帰りづらくなっているのは、どう考えても寂しいものなのだからーー。
地面から見上げる景色と
登ったパイプの上から見下ろす景色
大きかったその差を
埋めてしまえるくらいに伸びた君の背
あたしと違うその筋肉に
そっと触れた夕焼けの公園
気持ちだけずっと
君を見上げてる
【ジャングルジム】