『はなればなれ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「はなればなれ」
大地に生を受けてからずっと一緒に過ごしていたね。
花を咲かせて実をつけて種子になるまで。
また、同じ場所で綺麗な花を咲かせようね。
貴方から離れた私を二度と思い出さないでください
私は貴方の幸せを毎日祈りますが
貴方は私に関して祈りを捧げないでください
貴方はきっと素敵な人に出会って幸せになるでしょう
私は貴方以上に素敵な人などいないと知っているので
貴方と以外で幸せにはならないでしょう
私は最初からいなかったものだとして
これからの人生を歩んでください
貴方を悲しませたくありません
身勝手な私の最期のお願いです
『はなればなれ』
はなればなれ
離れる
放れる
そう全ては君の為
怖くなんかない
寂しくなんかない
これか1番楽な、はなれ方。
別れ方。
「サヨウナラッ」
赤い液体が頬を湿らせた。
鵲の橋
野菜の動物
渡し舟
手を伸ばせば届きそうなのに
どうして一人で渡れない
‹はなればなれ›
それぞれの空に飛んでいった綿毛
もう会えないのかな
元気でね
はなればなれになってしまいました
冬を超え
春になったら
聞いたことのある声がするよ
また会えたね
同じ場所で黄色い花を咲かせました
この、おなじ言葉が二つ連なった時に後ろの方に濁点がつく法則、名前なんやったっけ
- つくづく
- さまざま
- ところどころ
などなど
#はなればなれ
題 はなればなれ
嫌だ、もっと皆と一緒に居たい。
皆んなと過ごした日々の中に戻りたい。
そんな願いも虚しく、時は無常に過ぎ去る。
時が経つだけで、成長するもので大人になるもので
今日が終われば、この時間が終われば、皆んなともはなればなれ。
空間に声が響く『卒業生 入場』と
はなればなれ
あなたとはここでさよなら
でも私たち
いつかまた会える
時と空間を超えて
姿かたちを変えて
今世は
前世の再構築
離れてもまた会える
「はなればなれ」
3人目で双子ができたら私死ぬかも
日々育児に追われて、そんなif話に花を咲かせる
そうだ。片方は信用できる里親に預けよう
子どもには「お前には生き別れの兄弟がおる。探すのじゃ」と言い聞かせて育てよう
名前はそうだな。佑助と佐介にするか
私の愛犬も母方のおじいちゃんも亡くなるのはあっという間だった。
小学5年生のとき、初めて何かを亡くす出来事と出会った。それが愛犬の死だった。真っ赤に目を腫らせて学校に行ったこと、よく覚えてる。絶対に人を噛まず、小さい私のこともしっかり聞いてくれる子で私の一番の親友であり大事な家族であった。原因は糖尿病だろうとされた。朝早くに亡くなっていたのを父が発見して私たちは飛び起きた。ずっと一緒にいようねって毎日愛犬に声をかけていたのに。1人にされたような喪失感が大きかった。愛犬は火葬されて共同墓地に埋められたそうだ。新たに犬を飼ってもやっぱりどこか寂しいんだ。
母方のおじいちゃんがこの世を去ったのは今年の10月。これもまた私にとって初めて身内を亡くした経験だった。おじいちゃんは今年から少し体調を崩して入院していて私は何度も暇があれば面会に行っていた。病状は改善されて顔色も良くなった。行く回数を重ねるほどおじいちゃんも私とたくさん話してくれた。でもその時がくるのはあっという間だった。誤嚥性肺炎を起こしたおじいちゃんは酸素マスクをつけ苦しそうな姿になってしまった。急なことだということもあったしあまりにも苦しそうで話すと涙がこぼれそうだった。泣かないように抑えて話があまりできずに帰ってしまったこと、今でも後悔している。その3日後、容態が急変したと病院から電話がありその1時間後に逝ってしまった。おじさんが行った時にはもう息はしていなかったと。母が行った時にはもう既に亡くなっていたと。私はおじいちゃんの最期を看取ることは出来なかった。最期になった記憶も後悔そのものだった。その後、火葬、お通夜、葬式が執り行われた。何をしても今でもおじいちゃんの死を受け入れられない。今でもおじいちゃんの最期の記憶、元気だった記憶、事ある毎に思い出してしまう。失ってしまった空間が埋まることは決してなくて、立ち直れずにいる。私の頭から離れない、人が焼けたあとの嫌なにおいが私の後悔を責め立てるように私を苦しめている。
愛犬もおじいちゃんもはなればなれ。それでも残された私は生きなければならない。心は繋がってるとかよくいうけど、実際そんなこと実感なんてできない。死後の世界も存在しているのかわからずもう会えるかどうかもわからない。それでも私はこの命が尽きるまで生きなければならないのだろう。
はなればなれでもきっと大丈夫。
またねと約束したのだから。
これが本当に最後の投稿です。
『はなればなれ』
「各自準備が出来次第、ダイブ開始!」
上空5000mの雨雲の中、漂う水蒸気を我先に取り込み雨粒となったものから地上目掛けて落下する。あるものは山へ、あるものは田畑へ、あるものは街へ。行く先は様々だ。
「ねえ、おじさん。ボクはこれからどうなるの?」
小粒が不安気に私に聞いてきた。
「おや、雨になるのは初めてかい?君はこれから大きな雨粒になって下界の何処かに落ちる。」
「そこにおじさんはいる?」
「さあな。ここにいる粒達は皆、下に落ちて一旦はなればなれになる。だが川を伝って海へ行き、そこから空に戻ってくるんだ。また皆に会えるよ」
「本当に!?」
小粒が嬉しそうに言った。
「…さて、私はそろそろ準備が整ったようだ。雨になったから先に行くよ。」
私は小粒を残して下界へと落ちて行った。
はなればなれになっても、ずっと友達だよ!
___そういったあの子は、
どこに連れていかれたのだろうか。
ここは立ち並ぶビルの日陰にある孤児院。
無骨な建物の中には家なき子が集められている。
かつて今にも雨が降りそうな日に、
あの子は里親の家に引き取られていった。
その日から一度も会っていない。
いつも笑顔で、
ここに残る私の心配をし、
必ず手紙を送ると約束したけれど。
何年経っても連絡が来ることは無かった。
当たり前だ。
あれから8年が経ち、
ここの職員となった今なら、そう言える。
だってあの子は、
里親のところになんて行っていないし、
そもそもここは普通の孤児院では無かったのだから。
はなればなれ
昔は、芝居や講談、浪曲で有名だった国定忠治という大親分がいた。要するに、今でいうヤクザさんで、博打や侠客として名を馳せていたのだから自慢できた話ではないが、人情家で子分思い、天保の大飢饉のときには私財をなげうって人々を救ったと言われている。
その一派が、赤城山まで官憲に追い詰められ、ついに最後のとき、忠治が子分たちに言ったのだ。
縄張りや国も捨てて、赤城の山とも、お前たちとも、今夜がはなればなれになる門出となる。お前たちも頑張れよ!この刀が(と、愛用の刀に)俺の生涯の相棒だった!
という内容のセリフを言うくだりは、芝居でも講談でも、たまに映画で描かれても、大喝采の山場だったという。
群馬の人々には自慢の大親分で、静岡の清水次郎長と一二を争っていたらしい。
ただ、時代も時代、今はヤクザさんを称賛するのもねぇ、という流れで、人々の心からも、もう、はなればなれになってしまっているのはしょうがない。
折りたたみ傘の袋を
失くしてしまった。
その後、散々使って
壊れて捨てた傘の
袋が出てきた。
ごめん。ひどいことしたね。
(はなればなれ)
はなればなれ。もしあの時、何が違う行動ができていたら、一歩踏み出せていれば今も一緒にいられたのだろうか。会えない、もう2度会えなくなったみんなに。それでも今日を生きている。同じ空の下、違う場所で。
永遠なんてないってわかってるのに永遠を信じたくなる愛だった。それは確かに愛だった。
テーマ【はなればなれ】
はなればなれ
便利なものがあっても
勇気がなければ繋がれない
「ねぇもしも」なんて
考えても仕方がない
遠いあの場所で
あなたはどうしているのか
『はなればなれ』
あのとき、自分の心に正直になっていれば。
あのとき、彼女の手を離さなければ。
あのとき、「待って」って、一言言えてたら。
俺は今も、幸せだったのかな。
彼女とはなればなれになって3年。
彼女は今、どこでなにをしているのだろうか。
忘れようとしても忘れられない。
日々の生活の中でつい、きみを探してしまうんだ。
もう一度だけ、もう一度だけでいいから、きみに会いたい。
こんな我儘な俺を、どうか、許してください。
No.3 はなればなれ
わたしには知らない人生をいく
わたしと違う道を進んでしまう
あなたはもう少しでいってしまう
わたしとの思い出をわすれてしまう
あなたと違う道を進んでしまう
あなたと交わす言葉がきえてしまう
わたしがいなくても生きていける
なんて言わないで
すこしでも愛してほしかったな
太陽と月は、常に流転し、昼と夜を繰り返しながら永劫の時間を紡いでいます。どっちともつかず、我らが地球は、かの双弓を巡るようにして循環を繰り返し、正しきは、愛しきはどちらか、あるいは還るべき場所をまるで持たぬと云ふかのように踊っているのです。
それは、どんなに辛い事でしやうか。何せ、彼らに、決着といふ弍文字は無いのです。亜ァ、何方が善いだろうか、いや此方の方へ。重力と、何かしらのダークマターの気紛れにより、微かなその微粒子の夢に魅せられ息絶えた生命の行く末など知る由もないのです。まさに、それは「はなればなれ」とも言うべき、宇宙の心理であり、我らが、神の刹那を慰めるための、哀しき玩具に過ぎないことを、地球自身に伝えていました。