『たそがれ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
夜とも朝ともつかない時間、神社は今日も赤い灯篭を灯して君の帰りを待っている、お面を被り決心したら明日の君はあちらの住人。さぁ二つに一つもう後戻りはできない。どちらを選ぶかは君次第だ。
「たそがれ」
「たそがれ」
一日で一番悲しい時間
背ぇ高ノッポの偉そうな影が私を責めている
黄昏
今日の黄昏の色は 人生の黄昏を思わせる 寂しい色だった
じっと見つめていると 私の心と体が その寂しさ色に 吸い込まれそうになる
ふっと 足が中に浮き そのまま 黄昏の空へ 引き寄せられ 飛んで行ってしまいそう
はっと 我に返る いけない いけない
寂しさに向かって 残りの人生を生きるなんて どこかに 希望を置き去りにした人生には 決してしたくないと
無理やり 元気を振り絞り
明るく振る舞ってみる
足を踏ん張って 地面に立ち 両手を 思いきり高く伸ばして グッと力を入れてみる うん これでよし
明日は もっと明るい黄昏色に 出会えるかな
たそがれってなんだろうと思った時、スパイファミリーというアニメのキャラクターが浮かんだ。
きっと、このアプリが望んでいる「たそがれ」は違うものなんだろうが、そんなの言われたって、バカな私には何も分からない。
スパイファミリーに出てくる、「たそがれ」はコードネーム。本名、というか偽名だが、名前はロイド・フォージャーというらしい。
イケメンかつ、スマート。それに加えて頭が良いときた。
これは惚れないわけがない。
惚れない人がいるなら見てみたいものだ。
人の見分けがつきにくい時分のことを
誰(た)そ彼(かれ)は
と言ったらしい。
だから黄昏時に思い切った。
あなたの顔がはっきり見えると
恥ずかしくて、想いが想いのままだから。
たそがれ時の曖昧さが好き
少し冷たい風が
あなたを感じるから
夕闇の先の月灯りの先に
たそがれではないあなたを感じる
光を探してる
【たそがれ時】
たそがれるのには、もうあきた。
愛するだれかと、朝日が見たい。
#たそがれ
「たそがれ」
影が長ぁくなったから
おうちに帰ろ
走って帰ろ
靴が片方ぬげちゃった
誰かおむかえ来ないかな
昼間と違う町みたい
次のかどを曲がらなきゃ
お空は何を隠したの
こどものように泣いちゃった
大きな声で泣いちゃった
たそがれ
たそがれ、ではなくて、
夕暮れ
N.S.P 夕暮れ時は寂しそう
タイトルは違ったかも知れない
まだ小学生だった自分には、たそがれの、切ない空気感がこの曲と一緒だった。
今でも、ふと蘇る。
人生の折々で、こんなふうにして、思い出の曲を増やしてきた。
たそがれのイメージ、
それがこの曲なのだ。
ゴミの分別くらい
ちゃんと出来てほしかったな
ぼくの分娩室に泣きわめいたこえ
それだけこわかった
どうせ未来には
なにもできないやつだとか思って
しらないふりで
前を見て歩くって言ってた
夢が詰められた血液だとか
生きるための本だとか
だれかが見た訳でもないのにな
夏休みの絵日記により集められた
カラスは何回鳴いたか
結局みんな幸せそうに僕のこと忘れていくだけで
なにも知らない写真が増えて
なにも消えないところが増えた
その方がいい
きらきらなラムネが口の中で
溶けていくほうが、みんな幸せ
「たそがれ」
たそがれの余韻を
楽しめるか否かで
初めて生の価値が分かる
去り行く時に
自分の頭に後光を求めるな
今日も一日おつかれ様
その言葉が聞こえて後ろを振り返る
誰もいない
もうすぐ黄昏で
空はとても綺麗
あぁ
やっぱり私は何も見えないのか
お題 たそかれ
たそがれという言葉の美しさ。
薄暗くなった夕方、識別できない人影に、あの人はだれ?(彼はたそ?)
昔古文の授業で習った時は、日本語ってなんて美しいんだろうと思った。
何十年も前に聞いた事なのに今も覚えてるのが不思議に思うけど、それほど印象的だったんだろうな。
大切な人と砂浜に腰を下ろして
見知らぬ人の奏でるギターの音色を聴きながら
沈んでいく夕日をただ眺める
黄昏時の過ごし方で
本当の豊かさというものが
わかるのかもしれない
そんなことをぼんやりと考えた
異国でのひととき
たそがれ
お題《たそがれ》
青葉輝く透明な美しさも
灰となり儚く散りゆく姿も
大切な時の一粒
貴殿(あなた)と御別れをしてから早や5年が経ちますね。今、どこで何をしていますか?きっと貴殿は私の喜びや悲しみを静かに見守ってくれていることでしょう。
貴殿は人として在るべき姿を体現していました。誰にでも同じ様に寛容な姿勢を貫き、その心の大きさは誰もが憧れ、感心するものでした。自分の為ではなく、常に人の為に働く貴殿はいつも輝いて見えました。「来るもの拒まず、去るもの追わず」これも貴殿から教わった事です。
しかし、そんな貴殿は旅を終えてしまった。最期に貴殿と対面した時の事を今でも鮮明に覚えています。朝日の日差しが部屋に差し込む中、貴殿は眼をはっきりと見開き私を見つめた。その眼の輝きとオーラに私は圧倒させられました。それはまさに貴殿の生き様を表したようでした。それと同時に私はその眼から何かを託された様に感じた。その眼から伝わる何かが私の胸に刺さった。しかし、未熟な私にはそれが何なのか分からなかった。貴殿は私に何を託されたのか…。
私は今、大きな悲しみと苦しみのを抱えて生きています。恐らく貴殿が私を大きく成長させる為に、貴殿に一歩近づく為に与えてくれたのでしょう。しかし未熟な私にはこの悩みが未だ乗り越えられていません。もしかしたら貴殿が託した中に、何か大切なものが隠されているのでしょうか。それが分かればまた一歩成長できるのかもしれませんね…。
貴殿はどの世界に行っても私に色んな大きなものを与えてくれます。それが私の人生を助けてくれています。やはり貴殿は偉大です。私も貴殿の様に強く生きたい。だから、これからも私の事を見守っていてください。
今まで本当にありがとうございました。そして、これからも宜しくお願いします。
私は探してる
誰そ、彼
誰そ、彼
夕と宵が溶け込む時
誰そ、彼
誰そ、彼
藍と朱の混ざる、あの瞬間
誰そ、彼
誰そ、彼
世界の終わりのような光景なれば
誰そ、彼
誰そ、彼
彼の岸から迷い混んで、攫って頂戴?
誰そ、彼
誰そ、彼
赤い花を携え、祈る様に、呪う様に、
誰そ、彼
誰そ、彼
近付く誰かに、あなたの影を見る
誰そ、彼
たそ がれ
…なんて、聞かなくても
あなたはもう、居ないのにね
行きたくなかった部活 思い出なんてないと思ってた
けれど 怒られて、笑って、よるは寝れなくて、明日が来るのが怖かったけど
終わった後の薄暗くなった時間に先生にさよならと告げる
それが私の青春でした
朝早くから精力的に活動していると午後すぎたあたりからは疲れる。
黄昏時には珈琲を1杯、窓際で沈みゆく夕日を眺めながらのんびりしたいものだ。
#たそがれ
黄昏時っていうじゃない。あの夕方の薄暗い時間帯の話。「てめー誰じゃ」ってなることある? 私は土砂降りの砂利道がミルクティーみたいになる時くらいしか経験ない。電気は偉大。
うぃきさんに聞いたら「てめーうちの村のやつか、それともよそ者かころす」をこじゃれて「たそかれ」って言ったらしいよ。ロマンスのかけらもねーのね。