『たくさんの想い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あなたと友だちになってから早1年が経とうとしています。
色んなところに行って、
色んなことを駄弁って、
色んなことを沢山してきたのに、
それでもまだまだ足りません。
最近は恋愛が大変で、あなたとあまり一緒に居られていないですね。
けれど、だからといってあなたが大切な存在でなくなった訳では無いです。
もっと色んなところに行きたいです。
もっと色んなことを駄弁りたいです。
もっと色んなことをしたいです。
わたしの人生を、あなたに注ぎたいです。
これからもわたしの親友でいてくれますか? 大好きだよ。
#たくさんの思い出
あったんだろうな。
仕舞い込んでいるだけなんだろうな。
でも、きっと、あんまり思い出せない気がする。
”たくさんの想い出”があったはずなのに。
いつだって思い出すことは、決まりきったことばかりだ。
たくさんの想い出
サンタさんがいないと知った日
小学四年生くらいだったような、、クリスマス前に高熱を出して寝込んでいた時になぜか今年はサンタさんは来ないと親に聞かされる。
あーあの時はショックだったなー。
毎年手紙を書いて、ウキウキして朝起きて、おもちゃの説明書にヤマダ電機って書いてても疑わなかったのに。笑
後から聞けば看病のためプレゼントを買いに行けなかったのだという。
少し大人になった気がした。。
懐かしいアルバムを本棚から引っ張り出す。開けば、当時の思い出が蘇る。まるで、あの頃に戻ったかのように。
これはまだ産まれたばかりの小さかった頃。何でもないことで笑うから、こちらもニコニコしてしまう。いつも笑顔だった君。
これは小学校に入学したばかりの頃。ピカピカのランドセルを背負って、少し大人になったみたいだった。
修学旅行はどうだった? 聞かなくてもわかるよ。すごく楽しそうな顔をしてる。親と離れて、初めて行く場所で、みんなに囲まれて撮った写真は、友達の前でだけ見せる笑顔だ。
中学校に入学した頃の写真。友達と離れて、少しだけ不安そう。それでも、またすぐに新しい友達を作っていたね。
反抗期に入って、たくさん喧嘩もしたけれど、何かあればちゃんと心配してくれる。照れながらもちゃんとこっちを気遣ってくれる。そんな優しい子だったね。だって、誕生日に祝ってくれた時の写真、みんな本当に幸せそうにしてる。
高校に入学して、初めてできた彼女を連れてきた時はびっくりしちゃった。かわいくて良い子だったね。お似合いだったけど、若い頃って、いろいろあるよね。ドンマイ。
受験の頃は大変だったね。部屋に籠もって必死に勉強する君に、あまり無理しないで。という心配の気持ちと、でも頑張ってほしい。という応援の気持ちで、いつも夜食を作っていたよ。どう声をかけてあげれば負担にならないかなんて、そんなことを考え過ぎてしまって、なかなかその気持ちは伝えられなかったけど。でも、合格発表を受け取って、こんなに嬉しそうな笑顔を見られて、今見ても本当に良かったって思ってる。
大学へ行って、また新しい人間関係ができていたね。こうやって写真を撮って現像することなんてほとんどなくなっていて、スマホに入っている写真がほとんどだけど。入学式の写真。そして、卒業式の写真は、本当に大人になったなって思った。
社会人になって、離れて暮らしてても、たまにスマホで写真を送ってもらって、お気に入りの写真はこっそりこうやって現像してたんだよ。久しぶりの友達との旅行の写真は、仕事から解放されて、本当に楽しそう。こっちは彼女との旅行の写真。幸せそうだね。
そして、結婚式の写真。大人になったんだね。ちゃんと二人とも幸せになってね。……ううん、大丈夫だね。だって、アルバムの中の二人の写真は、こんなに笑顔だ。
そしてまた、アルバムの中に新しい写真が一枚。
「おめでとう」
懐かしさと、幸せな気持ちで、君のこれからを祈った。
『たくさんの想い出』
「なんでいつも写真ばっか撮ってるんですか」
いつかそんな言葉を君が呟いていた気がする。
昔の自分は勉強ばっかりで友達もいなくて。
でも、変わりたくて努力して。
だから、いろんな人と笑いあっていられる奇跡みたいな今を忘れないように。いつでも思い出せるように。
でもね、
君といる時間は写真なんか撮るのも忘れちゃうくらい楽しくて幸せで。
いつのまにか写真には残っていないたくさんの想い出を、君と創ってこられたみたい。
〈たくさんの想い出〉
【 たくさんの思い出 】
死を迎えない体を持つ私は、当然、一所には留まれない。
場所や顔、経歴もその都度変わる…いや、変える。
その場ごとに様々な経験をするが、
楽しいこと、辛いこと、どれも忘れられないのは、
良いのか悪いのか。
私だって、湧き上がったこの気持ちを分かち合いたい。
過去を振り返って、同じ気持ちを共有する仲間と
語り合ってみたいものだ。
だが、許されない。
語りたい相手である彼らは、もういないのだ。
学生時代と姿の変わらない私と、誰がするものだろうか。
私はいつも、独りで抱えて、思いを馳せる。
気持ち悪いかも知れんけど
息子は可愛かった
道行く女性に大人気
顔も仕草も超絶可愛い
正直娘より可愛い顔
そして今
面長になり態度も素っ気ない
まあ思えば順当に成長したと言えるが
言っちゃなんだが
見る影もない
息子よ
たくさんの思い出を
ありがとう
「たくさんの、『想い出』、だもんなぁ……」
思じゃなく想だとさ。双方の違いって何だったかね。
某所在住物書きはネット検索で漢字の意味を調べながら、某せきどめ飴の丸缶ケースをチラリ。
「以前このアプリで出てきたお題は、7月はじめ頃の、『友だちの思い出』だったっけ」
それは昔々、物書きの厨二病真っ只中、未成年時代、
医療従事者の二次創作仲間から勧められた良薬。
『喉の不調には、これがよろしい』
既に連絡交流も叶わぬ思い出の残滓である。
「思考全般が『思』、特に心から、比較的強い感情とともに、ってのが『想』、さして大差無い……?」
やべぇ。もう分からん。物書きはカラカラ、缶ケースを手に取り軽く振って、元の場所へ戻した。
――――――
ガチャのすり抜け、イベント周回の虚無、等々。
多くの想い出を内包するソーシャルゲームのサービス終了に際して、しかしフレンドとのトラブルゆえに、どうにもアカウント復帰がかなわぬ。
以下はそんな物書きの、「たくさんの想い出」を主題とした、苦し紛れの現代軸日常ネタ風。
最近最近の都内某所。某アパートの一室の、部屋の主を藤森というが、
理由あって、一度実家たる雪国へ送ったダンボール一箱を、そのまま東京へ送り返してもらい、
中に詰めていた小道具とインテリアの数点を、再度置き直し、飾り直している。
予定では、先月いっぱいで東京での職を辞し、部屋を引き払って、田舎へ帰るつもりでいた藤森。
職場の後輩の提案により、退職予定が今月に延期となり、その間に「退職理由」となっていた藤森自身の「問題」が一応片付いてしまって、
ゆえに、退職と帰郷の理由が消え去ったのだ。
中古屋行きを免除された藤森の貴重品だけが、弾丸里帰りして帰ってきた格好。
「問題」解決のきっかけを与えてくれた後輩に、感謝すべきか、何なのやら。
そうだ。後輩。
「こいつは、どうするかな……」
チリリ。小箱を開けて取り出したのは、白と青と紫の花が描かれた風鈴。
夏の頃、8月5日に後輩から贈られた物である。
小箱の下には緩衝材も兼ねた白い甚平。これも後輩からの贈呈品であった。
藤森の実家から送られてきたマルベリージャムだの、タケノコだのの礼として。6月22日付近に。
「せっかくだ。もうだいぶ寒いが、部屋の中なら別に、飾っておいても」
職場の後輩とは随分、長い付き合いになった。
藤森はため息を吐き、風鈴を掲げ、見上げた。
教育係として最初に仕事を教えたのが数年前。
今年は3月にオツボネ係長からパワハラを受け、泣きじゃくっていたところに寄り添った。
5月は疲労を疲労と申告せぬ藤森を、後輩がロックしてマッサージして、防音防振の整った室内に悲鳴が響き渡った。
7月に8年前の初恋相手とバッタリ会い、8月「ヨリを戻せ」と職場に押し掛けられ、
9月は藤森の現住所特定のために後輩に探偵をけしかけられた。
4ヶ月前に蒸し返された恋愛の問題が、今月、後輩の提案を起点として、やっと解決したのだ。
随分、たくさんの想い出が、この1年の間で。
「でもさすがに甚平は、今年はもう着ないな」
完全季節外の白を丁寧にたたみ直し、タンスにしまうと、藤森は己の仕事机のそばに風鈴を飾り、
チリン、チリン。優しく指で小突いて、ぎこちなくも幸福に笑った。
今日まで色々バタバタしちゃって大変だったね。ほんとに、急なことだったからキミにはすごく迷惑をかけたと思ってる。ごめんよ。ていうか謝るのはそこじゃないか。
ごめんね。
こんなふうに、キミを置いてく形になってしまって、本当にごめん。黒い服に身を包んで最後の挨拶を参列者にするキミの後ろ姿。近付いて、そっと抱き締めてあげたい。1人でも気丈に振る舞うその背中を。僕はもう、見つめることしか出来ないなんて。
『主人は生前はたくさんの方々に愛されていた人でした』
その言葉がすごく心に沁みるよ。そんなふうに言ってくれるけれど、誰よりも僕を愛してくれたのは紛れもなくキミだった。キミと過ごした時間とたくさんの想い出の数が何よりの証さ。挙げだしたら果てがないんだ。キミと見たもの行った場所触れた所。全部ぜんぶ、残すことなく一緒に持ってゆくからね。キミから貰ったありったけの想いを棺桶に詰めておくれ。もう、ぎゅうぎゅうで蓋が閉まらないくらいに。
『どうぞ安らかに』
ありがとう。ゆっくり休みながらキミの夢でも見るとするよ。
おやすみ、愛してるよ。
「たくさんの想い出」
君とのたくさんの想い出。
君が間違って池に落ちたことがあったね。そんな時、君は僕を見てにやりとし、僕の手を引っ張って僕を池に落としたね。
君とはたくさんの想い出があるけど、一番の想い出は、僕が君に告白をしたときのことだね。僕の告白を聞いたときに君は顔を赤く染めて、世界で一番可愛かった。
君とは、ずつと一緒にいたいと思う…そんなことを君との思い出アルバムを見ていたら思った。
たくさんの想い出?
私にもそれなりにあったとは思うけど
手で掬った水のように消えてしまったり
頑固汚れの如く、こびりついてたり。
今は便利だね。
想い出をデジタルにして
永久保存も抹消も思いのまま。
妊娠した。出産した。そしたら、旦那が別れてと言ってきた。妊娠中から好きな人ができたのだと。
妊娠悪阻は5%の妊婦にみられる症状だ。たった5%の中に私が入るとは思ってなかった。ずっと気持ち悪くて食べたいのに食べられなくて働きたいのに働けなくて、やりたいことが思うようにできないと心病むものだ。新しい命が自分に宿っていると思うと守られくてはいけないのに身体が思うように動かずとてつもないジレンマだった。旦那にいっても仕方ないと言うだけで自分は社会から隔離されたような気持ちだった。
そんな状況を乗り越え出産し幸せを噛み締めていると思いきや、別れて?頭がついていかない。耳がおかしくなったか?何度も何度も時間をおいて何度も聞いたが別れてほしいだった。私が悪いと旦那は言う。ケンカするたび、気持ちがすり減ったそうだ。子どもを私を抱えて育てる自信はないそうだ。私を抱えてってなに?私はあなたより稼いで家のこともやってきたのに?私が求めることに応えられないと旦那は言うが、この場に及んで私が求めることとはなんだろう?子どもが生まれて育てなくてはならないのに。あ、協力なんて初めからしてなかったんだ。私が思っていた協力し合って生活できてるなって思っていたのは違ったんだ。
すやすやと眠るわが子。私以外に守ってもらえないなんて。それでもすくすく育ってくれている。私が育てよう。初めから協力し合ってなかったならこれからもなんも変わらない。
さようなら。
おれたちが初めて出逢ってから、どれだけの時間が経っただろう。
たくさんの出逢いとたくさんの別れ、たくさんの戦いとたくさんの思い出。
仲間はたくさん出来たけど、相棒はいつだってお前だけだ。
ケンカして仲直りして、一緒に笑って泣いて。言葉はなくても築いてきた絆は、おれにとって一生の宝物だ。
お前にとってもそうだといい。そうだって、信じてる。
だからさ、これからもずっと一緒に冒険しようぜ相棒!
【たくさんの思い出】
その言葉をみてすぐ思い出したのは走馬灯だ
走馬灯とは僕の認識では、死ぬ間際に頭の中にある今まで生きてきた様々な記憶が思い返される現象である
なぜ走馬灯になるのかという理由を最近本で読んだ所によると、脳が走馬灯を見せその中に死を回避できるか方法があるか模索させる為だという
それが本当なら
とても凄い機能が人間には備わっている事になる
その人格は死にたいと思っていても、体は生きようとしているという事だ
生命とは言葉に表せない程に、複雑な物なんだと思う
あなたからたくさんの
想い出をいだだきました
その想い出を大切に
心に抱いて生きます
卒業アルバムには、たくさんの思い出が詰まっている。
少しだけ恥ずかしい思い出もあるだろうけど、ひとたび開けばあの時の気持ちと好きだったものがその時のまま甦ってくる。
過去は振り返らずとも云うけれど、たまには懐旧に浸っても良いじゃないか。
カメラを構える暇もない程
思い出すことが出来ないほど
経験を積んでいるが、
記録に残すことができる様になった
自分の中で美化出来なくなった
結局残ったのは一部の思い出たちだけ
※たくさんの思い出
過去を振り返れば思い出とともに絆の大切さを知る。前ばかり見ていては孤立していく原因だ。周りをよく見て過去の思い出も胸の中に確かにある。嘆くな。そう自分に言い聞かせる。助けてくれる人もいる。家族との思い出を大切にしなくちゃ、他の思い出も色褪せる…。
小さい頃、仕事で忙しい父が構ってくれたのは数えるほどだ。
テレビゲーム(あの頃は主流だった)はしないようなひとで、もっぱらテーブルゲームを教えてもらっていた、気がする。
オセロや将棋、時間のない時には、四目並べ。
手加減はあったような、なかったような。
将棋なんかは駒落ちしてくれた気もする。
そういえば、構ってくれるのは嬉しかったのだけど、子供ながらに負けん気が強かったから悔しいと泣いて見せたら、「まだまだやな。」とにやにやして見せるようなヤツだったことまで思い出した。5歳の娘に手厳しいことである。
結局、小学校へ上がって広がった交友関係とともに、興味関心も移ってしまってから、あまり一緒に遊ぶことは無くなってしまった。手元に残ったのは将棋の駒の基本的な動きだけである。
これが面白いもので、大学へ入って少しした頃、なんの気無しに入った運動系のサークルで役に立つことになった。我ながらミーハーだが、顔のいい先輩が勧誘してくれたものだから、うっかり入部してしまったのだ。
夏合宿というのがあって、山の中の合宿所に籠って、3日間ひたすら練習するのである。その最終日の宴会で、うっかり要員の先輩と将棋を指すことになったのは、たまたまだった。もう朧げにしか覚えていないし、顔なんてあげられなくて、指先ばかり眺めていた気がする。おおむね良い思い出となったのは確かだけれど。
結局、サークル自体は目当ての先輩が引退してしばらくして辞めてしまった。相変わらず、根性のないことである。
『メモリーズ』
思い出のゴム毬で遊んでた 夕暮れになって 軽トラックライト点灯 アスファルトで転けたら痛い 膝小僧に血が滲む 遊びが仕事と言い聞かせ 風呂場の天井 蜘蛛を見つける ゴム毬の空気が抜ける 思い出が蛇のように逃げていく