『あの頃の不安だった私へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あの頃の不安だった私へ
気にしなくていいんだよ
ただ、早く夫に気づけていたら良かったのに
とは思う。
でも今があるのは
今までのこうていがあるからであるから
だから気にするな
と夫に言われた。
ありがとう。
(*´σー`)エヘヘ
夢を持つな。
現実を愛せ。
絶望しろ。
とは言ったものの、私なんて昔からそんなもんだし人生なんて不安しか感じない。私は私である前からずっと現実主義者だったような気もするし、絶望し続けていたような気もする。
夢だって見たことがない。
だからただ、今も昔も変わらずに生きろ。
希望を殺せ。
理想を憎め。
真実を持て。
"あの頃の不安だった私へ"
拝啓
いかがお過ごしでしょうか
不安に押しつぶされ 病気になってしまった私
10年近く経った今も 通院しています
身体も悪くなってきてしまったけど 大丈夫
あなたはちゃんと すこしづつだけど
小さな幸せを摘んで 生活しています
お薬に頼りながら 周りに頼りながら
生きてね
追伸 読書はもう少ししておくといいかも
【あの頃の不安だった私へ】
~拝啓~
就職出来るか。
そしてその後働いていけるか不安だった私へ
見ていますか?
私は今。安定していると信じきっていた事務職についています。
正直に言いましょう。
頭破裂しそうです。
普通は元気づけるもの?
思っているよりも大丈夫。と励ますもの?
それはそうだろうけれども。
だけれど私はそのセオリーを知っていてなお言いたい
わからないことだらけです。
知らないことだらけです。
馬が合わないなと思う人だっています。
これらを並べた後に言います。
意外と何とかなります。
思っているよりも遊べます。
お菓子だって食べれます。
脳内パンクさえ目を瞑れば、、、
なので安心しなさいな。
未来はどうすごしていたって来るものだから
今の時間を楽しみなさいな
楽しんだもん勝ちとはよくいったもので
あの子大丈夫じゃろうか。と思っている子だって、
なんとかなってる。
遊んで遊んで遊び尽くして!
悩むのは、
不安になるのは問題に直面してからでいい。
大丈夫。
それでも怖いなら。
それでも不安なら。
その気持ちを原動力に。
その気持ちをバネに変えて!
今を生きて
~未来の私より~
あの頃の私へ、
今、私は沢山の人に囲まれて生きています。
仲間も、家族も、皆います。
だから、だから不安にならなくて大丈夫だよ。
きっとつらいと思うけど今は楽しいから、貴方はもう1人じゃないから。
貴方は大きくなったよ。
んあーん、ネタが思いつかない!
そう言って手に持っていたスマートフォンを放ると、わたしは大きな嘆息ののち、身体を仰け反らせ、天井を見上げた。真夜中の私室には蛍光灯のノイズに混じって遠く車の走行音だけが聞こえている。脳裡に書きかけの文字列が虚しく浮かび上がる。
浅学非才という文字へ無様な格好で手足を据え着けたようなわたしには、卓抜なアイディアなど創案できるはずもなく、ただ、それでも日々の生活の中に彩光を明らめたいという曖昧な気持ちだけが空転している。
大手を振って文学とまでは言えなくとも小説めいた文章でもものしたいと発意してかれこれ五年は経つだろうか。
スマートフォンであったりパソコンであったり、或いはノートにボールペン――この場合、決まってブルーブラックのインクを用いる――であったり、日々に道具こそ違えども、少しずつ言葉を書き付けてきた。
とは言え、そうそう書くことなどあろうはずもなく、この日は何の気なしに、SNS上で出されたお題に沿って、筋書きを練ろうとしていたのだった。
――が、ご覧の通りのありさまである。
それで、気晴らしと言ったらいいのだろうか、わたしは昔作って放置していたSNSのアカウントがあったのを思い出して、どんなことを書いてたのか見返すことにした。
今使っている別のアカウントから、かつてのアカウントを検索する。数年前の呟きがヒットする――あぁ、あの頃はまだ学生だったな。
「就活したくない」「社会に出たくない」食べたものや出先の写真やら他愛ない暮らしの光景とともに、後ろ向きな書き込みが散見される。
――ネタが思いつかない。なんて、見れば今の自分と変わらぬ嘆きもあるではないか。わたしは、何となくこの呟きに返信してみた。
――大丈夫!そんなのよくあるから。
数分も経ったろうか。スマートフォンが振動する。通知のアイコンを見ると、SNSに返信があったみたいだった。怪訝に思ってアプリケーションを開く。
――ありがとうございます!もう少し頑張ります!
それは、あの、放置していたはずの、わたしのアカウントからのものだった。どいうことだろう。乗っ取られでもしたのだろうか。
わたしは怯惰と周章とが絡み合った恐怖心から、急ぎ例のアカウントのパスワードを変更した。嫌がらせにしても、薄気味の悪いことをするものだ。
わたしは、不安を感じながらも、昔の自分のアカウントの書き込み一覧を眺めた。どうして――見れば、たった今、書き込みがされているではないか。
――励ましのリプ貰ったので頑張るぞ!
可愛らしい顔文字と共に、気の抜けたような呟きだった。新手の心理実験でも始まったのかよ。わたしは、そう思うと同時に、妙なことだが、苛立ちは薄まって、新たに「頑張れ」などどメッセージを送るのだった。
過去の自分という先入見がそうさせるのだろうか。ともすれば、今の自分の懊悩をそこに重ねて、現在のわたしへの言励としたのだろうか。
結局、その謎めいたかつてのわたしの余声とは、いちいち共感があって、やり取りを重ねることになったのだった。
――よければ、今度一緒に喫茶店でも行きましょうよ!
過去のわたし――と言うのには確かに抵抗はあるが、便宜上、こう言おう――から、そんな提案を受けると、これも便宜上そう言うが、今のわたしは二つ返事でこれを諾とした。
ようよう梅雨の足音の聴こえてくるような、気怠い週末の一日だった。
わたしたちは、駅前の喫茶店で待ち合わせることにした。わたしは、すっかり打ち解けたような、不思議な感覚でいたが、元はと言えば、アカウントを乗っ取った相手である。
今更な不安を覚えながら、喫茶店の扉を開けた。
――待ち合わせで。店員にそう告げながら、わたしは辺りを見回した。
すると、確かに窓際の席には、あの時の、過去のわたしが座っていた。窓に反射した顔は外の風景に見入っているようだった。
途端に、わたしは強烈な目眩に襲われた。一気にわたしの視野が暗く、小さくなっていく。
あの、同じい窓に、今のわたしの姿が映ることは永遠に無いのだろう。にわかにわたしがそう悟ると、確かに、そこにわたしはいなかった。
そして、わたしは永遠に待ち続けるのだろう。
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あの頃の不安だった私へ
★あの頃の不安だった私へ
愛してもらえるとは思っていない
お互いそれは暗黙の了解だった。
同じ家にいるのに食事も寝室も別
一緒に暮らしていても夫というよりルームシェアをしているみたいで最初は気楽だった
でも家に帰れば暗いリビングに電気をつけて、明るくなったただ広い部屋を見て寂しさを感じる
あの頃不安だった私へ____
「やば」
やば。ヤバ。ヤバい。
その言葉が嫌いだ。
私が大体そう言われる時は、引かれる時の「ヤバ」だ。
昔からバカでアホな発言をしがちだった。
世間的にはそれを「天然」なんて言葉で片付けてしまう
けれど、「天然」は時に人を笑わせるが、
引かれる時も逆に場の空気を最悪にする事もある。
なんなら、そっちの方が多い。
本物の天然より、自称天然のほうが何倍もいい。
だって、時によってはバカになって
みんなを笑わせられる。
そして、自覚があるから変な発言をしないし、
何が普通か、何が駄目なのか、知っている。
でも、ただの天然は、悪気はないから苦しい。
自覚がなく発言しているから、後から後悔をする。
だから、「ヤバ」なんて言わないで。
幼い頃の私の怖いもの
「自分が空っぽであること」
周りの子を見ていると私は空っぽだと気づく
好きなもの得意なもの頑張りたいもの…
考えても見つけられないし分からない
褒められている子を見る度に
何にもない自分に不安と怒りが込み上げる
そんな日々の繰り返しだった
そんな不安を抱えた私に届けたい想い
成長して大人になって社会を知ると
得意も好きも関係ない
みんなと同じスタートラインに経つことが出来るから
自分のペースで進めばいい
あの頃の不安だった私へ。
将来、何になりたい。とかの夢もなく、ただ何となく過ごしているけれど、それなりに笑って暮らせてます。
不安なんて何もない。わけじゃないし、不満もストレスもあるけれど、その、不の部分よりも平穏な部分が勝っているから大丈夫。
友達とは、以前よりは連絡とらないけど、連絡すれば返してくれるし、このアプリのように、同じ楽しみを持つ仲間のような方々もいる。
だから、一人じゃないから大丈夫。
この先も、不の部分で落ち込んだりすることはあるだろうけど、手を差し伸べてくれる、優しい人たちがいるから、あまり深く考えすぎずに過ごしていこう。
もう昔言われたことに腹を立てて、当たり散らすのは止めろよ。
後ろなんて振り返っても何にもないんだから。
俯くな、見上げるな、前だけを見ろ。
腐るな、流されるな、踏ん張れよ。
自分の力で、足で、歩いていけ。
もっと自分を信じろ。
テーマ「あの頃の不安だった私へ」
【あの頃の不安だった私へ】
友達はいなくて、特技もなくて、将来の夢もない。
一人ぼっちで、全く笑わないまま一日を過ごしていた。
あの頃は、とてもさびしくて、不安でたまらなかった。
たった一つ、今の私から言えることがあるとしたら、「強く生き続けてくれてありがとう」と言うだろう。
『小瓶』
海風香る小さな小屋で
小さな紙に綴ります
優しい言葉を一言
不安な気持ちを拭うように
あの頃の不安だった私に送ります
小さな手紙は小さな小瓶に
そっと詰めて詮をします
全てを還す母なる海
きっと過去に還してくれると信じて
あの頃の不安だった私に送ります
小さな小瓶は大きな波に飲み込まれ
姿を消してゆきます
それを見つめる私の姿
どこにも翳りはないでしょう?
今でもこのまま生きていていいか分からないと思う
だけど小さな幸せがきっと大きな希望になるから
『あのころの不安だった私へ』
学校で1人なのは苦しいよね、
高校生になった今でも変わんないよ、。
今もこうして1人で小説を書いてる。
でもね。
ネットだけど、友達はしっかりできたよ。
リスカもODもやめられなくて、不登校気味で。
彼氏には否定されて親にも呆れられちゃったけど笑
ネットに逃げてもいいんだよ
否定されてたけど、ネットは否定してこないよ
大丈夫だからさ。死ぬにはまだ早いよ
もうちょっと生きてみよ、私も頑張るよ
生きててくれてありがとう。
あの頃不安だった私へ
大丈夫。
なんだかんだ大丈夫だよ。
性格上今でも全部の不安を取り除けてないかもしれないけど、
それでも楽しく生きてるよ、私。
彼氏もできたんだよ!いろんな出来事にはあったけど今最高に優しい彼が隣にいるよ。
だから不安は分け合えてるんだよ。
支えてくれて、支え合って、
私は今日も笑ってるよ。
その時は不安に思ってても、だから大丈夫!
たくさん悩んでて、辛いかもしれない。つらいと思う、人に言えないこともたくさんあるし。
大丈夫って言いたくないし、
聞きたくないし、聞かれたくもない。
でも自分のことだから、言う!
大丈夫。未来の私、なんとか大丈夫だから!
完璧とかそんな素晴らしい人生じゃないけど。
無理はしないでね。
本当にね。
たまには自分優先でいいからね。
ご褒美あげてね。
私もあげるね。
へへっ。
あの頃の不安だった私へ
大丈夫
不安でも
クズでも
死にたくても
なんとか生きている
不安になってもいいけど
早めに切り替えて進んでいこう
勉強にスポーツに人間関係に
すごい不安なことがいっぱいだったよね
今もたくさんの不安と一緒に生きてるよ
でも、一緒に生きてく覚悟もあるよ
そのせいでしんどいことがほとんどだけど、
ほんの一瞬だけ、
こいつがいて良かったと思える時があるよ
「テーマ:あの頃の不安だった私へ」
不安、、、、、
この世に生み落とされた瞬間、
人は不安と闘い、自らの心の安定を求めて、生き続ける。
そしてこの心の安定こそが幸せそのものなのだ。
他者との比較ばかりで心の安定を探り続けるのはやめよう。
自分の心が安定する場所、行動、事象を頭に浮かべてみよう。
そして今すぐに実行しよう。
病に伏していても、お金がなくても、
今の状態で出来ることを探ろう。
きっとあるはずさ。きっと。
そして行動することによって何かが変わる❗️
人間は動くために生まれてきたんだよ。
動くために身体があるんだよ。
折角の人生、考えて、動いて、後戻りしたり、止まったり、また、進んだり、泣いたり、笑ったり、感動したり、、
それが人生。それが幸せ。
「お題の意図はだいたい予想できる。『不安だった私へ。何事も問題ありません。万事良い方向へ進み終わりました』みたいなハナシを想定してるんだろ」
昨日の俺へ。不安はガッツリ的中しました一旦寝ても起きても全然ネタが浮かびません。素直に何でも良いので書きましょう。某所在住物書きはため息を吐き、一向に進まぬ、今回の投稿分の文章を眺めた。
「『不安だったけどハッピーエンドで終わったよ!』なんてお約束展開、多分遭遇したことねぇよ……」
ガチでそろそろ、お題無視の投稿かお題パスでお休みあたり、考えたほうが良いかな。
ガリガリ。物書きは今日も頭をかき、天井を見る。
――――――
リアル法則ガチ無視のおはなしです。難解なお題に対する苦し紛れなおはなしです。
都内某所の稲荷神社に、不思議な不思議なお餅を売り歩く二足歩行の小狐が、神社敷地内の一軒家に、家族で住んでおりました。
そこの一家の大黒柱、人間に化け某病院に勤め納税までしている父狐が、どうにもこうにも料理下手。
母狐の家事負担が少しでも軽くなるよう、買い出しゴミ出し役所手続き、掃除洗濯にハーブガーデンのお手入れも、そつなくこなす家事パパですが、
天は父狐に料理スキルを与えなかったらしく、煮ては煮溶けて吹きこぼし、焼いては焼け焦げまれに炭。
そのたびカンカン母狐に、仁王立ちと畳に正座で、食材の大切さをよくよく教え諭されるのでした。
それを子供ながらに見てられなくなったのが子狐。
「ととさん、ととさん、おこげどう?」
「大丈夫だよ」
「ホントに?ホントに大丈夫?」
「大丈夫。ほら、見てごらん」
今日も自分のお弁当を、自分でつくる父狐。
子狐コンコン、今日は父狐が母狐の前で正座しなくて済むように、ずっと隣で見ています。
どうしても、父狐の料理が不安なのです。
先週も、先々週も、その不安を抱いて、結局見て見ぬふりをしたところ、火災報知器が鳴ったのです。
あの頃の不安を今日繰り返さないため、コンコン子狐は心を子鬼にして、しっかり父狐を監視するのです。
結構強火なコンロの上には、油が跳ねるフライパン。消費期限間近の半額お肉がじゅーじゅー鳴きます。
「ととさん、火が、ちょっと強いよ」
「そうかい?かかさんは、いっつもこれくらいで、バーっとやっているよ」
「それは、かかさんだから、できるんだよ」
尻尾も振らず、耳もピーンと立て、じっと、真剣に、父狐とお肉を見つめます。
(真剣な目と口、かかさんに似たなぁ……)
ずっと見ているつもりかな。
父狐は子狐の瞳に、母狐の面影をじっと再確認して、
「ととさん!ダメ!けむり!ダメ!」
ギャンギャンギャン。視線を外したその間に、お肉を少し黒くして、子狐に吠えられたその結果、
般若の顔で仁王立ちの、母狐と目が、あいました。
拝啓。先週と先々週、父狐の料理に不安を感じた子狐へ。「自分がちゃんと見てなかったから父狐は料理を失敗したんじゃないか」と数分自分を責めた子狐へ。
君が見ても見なくても、父狐は料理を焦がします。一切気にせず安心して、元気に遊び母狐のおいしいごはんを食べて、すやすや幸せにお昼寝なさい。
おしまい、おしまい。