んあーん、ネタが思いつかない!
そう言って手に持っていたスマートフォンを放ると、わたしは大きな嘆息ののち、身体を仰け反らせ、天井を見上げた。真夜中の私室には蛍光灯のノイズに混じって遠く車の走行音だけが聞こえている。脳裡に書きかけの文字列が虚しく浮かび上がる。
浅学非才という文字へ無様な格好で手足を据え着けたようなわたしには、卓抜なアイディアなど創案できるはずもなく、ただ、それでも日々の生活の中に彩光を明らめたいという曖昧な気持ちだけが空転している。
大手を振って文学とまでは言えなくとも小説めいた文章でもものしたいと発意してかれこれ五年は経つだろうか。
スマートフォンであったりパソコンであったり、或いはノートにボールペン――この場合、決まってブルーブラックのインクを用いる――であったり、日々に道具こそ違えども、少しずつ言葉を書き付けてきた。
とは言え、そうそう書くことなどあろうはずもなく、この日は何の気なしに、SNS上で出されたお題に沿って、筋書きを練ろうとしていたのだった。
――が、ご覧の通りのありさまである。
それで、気晴らしと言ったらいいのだろうか、わたしは昔作って放置していたSNSのアカウントがあったのを思い出して、どんなことを書いてたのか見返すことにした。
今使っている別のアカウントから、かつてのアカウントを検索する。数年前の呟きがヒットする――あぁ、あの頃はまだ学生だったな。
「就活したくない」「社会に出たくない」食べたものや出先の写真やら他愛ない暮らしの光景とともに、後ろ向きな書き込みが散見される。
――ネタが思いつかない。なんて、見れば今の自分と変わらぬ嘆きもあるではないか。わたしは、何となくこの呟きに返信してみた。
――大丈夫!そんなのよくあるから。
数分も経ったろうか。スマートフォンが振動する。通知のアイコンを見ると、SNSに返信があったみたいだった。怪訝に思ってアプリケーションを開く。
――ありがとうございます!もう少し頑張ります!
それは、あの、放置していたはずの、わたしのアカウントからのものだった。どいうことだろう。乗っ取られでもしたのだろうか。
わたしは怯惰と周章とが絡み合った恐怖心から、急ぎ例のアカウントのパスワードを変更した。嫌がらせにしても、薄気味の悪いことをするものだ。
わたしは、不安を感じながらも、昔の自分のアカウントの書き込み一覧を眺めた。どうして――見れば、たった今、書き込みがされているではないか。
――励ましのリプ貰ったので頑張るぞ!
可愛らしい顔文字と共に、気の抜けたような呟きだった。新手の心理実験でも始まったのかよ。わたしは、そう思うと同時に、妙なことだが、苛立ちは薄まって、新たに「頑張れ」などどメッセージを送るのだった。
過去の自分という先入見がそうさせるのだろうか。ともすれば、今の自分の懊悩をそこに重ねて、現在のわたしへの言励としたのだろうか。
結局、その謎めいたかつてのわたしの余声とは、いちいち共感があって、やり取りを重ねることになったのだった。
――よければ、今度一緒に喫茶店でも行きましょうよ!
過去のわたし――と言うのには確かに抵抗はあるが、便宜上、こう言おう――から、そんな提案を受けると、これも便宜上そう言うが、今のわたしは二つ返事でこれを諾とした。
ようよう梅雨の足音の聴こえてくるような、気怠い週末の一日だった。
わたしたちは、駅前の喫茶店で待ち合わせることにした。わたしは、すっかり打ち解けたような、不思議な感覚でいたが、元はと言えば、アカウントを乗っ取った相手である。
今更な不安を覚えながら、喫茶店の扉を開けた。
――待ち合わせで。店員にそう告げながら、わたしは辺りを見回した。
すると、確かに窓際の席には、あの時の、過去のわたしが座っていた。窓に反射した顔は外の風景に見入っているようだった。
途端に、わたしは強烈な目眩に襲われた。一気にわたしの視野が暗く、小さくなっていく。
あの、同じい窓に、今のわたしの姿が映ることは永遠に無いのだろう。にわかにわたしがそう悟ると、確かに、そこにわたしはいなかった。
そして、わたしは永遠に待ち続けるのだろう。
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あの頃の不安だった私へ
5/25/2023, 8:04:32 AM