『あじさい』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あじさいは色んな色があって綺麗!
四色のあじさいってないかなぁ(笑)
きっとないよね
あじさいになってみたらどうなるんだろ
妖精になって侵入したい
春の終わり頃から咲いて、
秋になっていても色褪せず咲いていて、
冬になったら枯れたまんまるい形だけ残っている
夏のあじさいはというと、
ひまわりと肩を並べて
いきいきと太陽を見てる
年がら年中、元気ですごい
季節の花が、温暖化の影響か何か分からないけど
その時期の花!というイメージがなくなってきている
桜が1月に満開を迎えるような事があるんだから
3月にだってあじさいが咲いていても
摩訶不思議ではないよね
そんなふうに
人間だけじゃなくて気候や自然も
この環境に振り回されているんだろうね
あじさい
憐れみを集めても
飽きられあしらわれ
愛されない
諦めはあたしに合わない
綾織りの雨を浴びて
あてなく歩こう
嵐のあと
あげひばりは
明るくあらがい
朝は鮮やかに新しく
あなたとあたしのあわいに
憧れは甘く
あした逢えなくても
あじさいは
あでやかな青
(まことにすみません今回のは過去作を載せました
いちおう「あ」で頭韻を踏むポエムです
かさのように大きく、あの時期だからこそ見ることができる。濡れた姿がとても美しい。雨の降る日が少し楽しみになる。
あじさいが綺麗に咲く季節ですね
子供の頃あじさいの葉っぱにカタツムリがいるのを見つけて喜んでたなぁ
昨日実家に行ったらいつもの場所にたくさんあじさい咲いてた
綺麗に咲いてた
でも子供の頃みたいに近くに行って見なかった
近々行って見てみよう
カタツムリに会えるかなぁ
あじさい
かたつむりをペットボトルで飼いはじめた
食べたもので出すものの色が変わるというので
折り紙などを色々試したが
カラフルなのも気持ちが悪い
あじさいの葉っぱを数枚入れるようになった
あじさいの花を見かけなくなる頃
かたつむりを見ているのにも飽きた
花が咲いていないと分かりにくいが
やっとあじさいを見つけて
かたつむりを離した🐌
紫色のあじさいが鮮やかに咲き誇る。
男女は手を繋いで公園沿いを歩いていた。しんしんと雨が降る中、傘をさして手を繋いで。
「貴方みたいね」
ぽつりと女性が呟いた。
「お前もな」
お互い様。そんな言葉が良く似合う。お互いに他の人と関係を持っているのは分かっていた。二人の関係性は都合が良かった、ただそれだけ。
お互いがお互いの駒。そこに特別な感情を抱けば脆く崩壊してしまう。女性が紫色のあじさいを指さして問いかけた。
「この色の花言葉知ってる?」
「あぁ、知ってるさ。花言葉は__」
浮気、だろ?
『あじさい』
あじさいの咲く頃
あの人は死んだ
あの人は雨が降る日
道を歩いていたら
車に轢かれて死亡した
お葬式の日も雨が降っていて暗かった
私の気持ちとは裏腹に
外にはあじさいが綺麗に咲いていて美しかった
あの人が死んでからどれくらいたったのだろう
私は今雨が降っている中、あの人の墓参りに向かっている
!?
気づいた時にはあたりの水たまりが真っ赤に染まっていた
いろんな人の叫び声がきこえる
みんな…?
どうしたの?
誰かにきこうと思ったけど急に眠くなってきて
私は目を閉じた
目を閉じる前視界の端に映ったのは
あの日のように鮮やかに咲いているあじさいだった
あじさいか もうすぐ 見れるかな?
俺は 花は嫌いじゃない
でも 匂いの強い花は 苦手だ
芝桜や フジの花は 好きなんだけど
好きな 匂いじゃない…
和樹さんが 去年 スマホで
あじさいの写真を撮ったらしい
俺も 今度 あじさいの写真を撮りたい
あじさいは梅雨に咲く
たんぽぽは春に咲く
ひまわりは夏に咲く
人間もバラバラだね
生まれる日、色、性格
それを植物が教えてくれるってわけ
SNSに
無邪気に
あじさいの花を
色んなバリエーションで
あげてる
無邪気な君が好き
あじさい
花びらが
ハートの
あじさい
見たら
幸福に
なれそうだよ
なな🐶
2024年6月13日1483
〜あじさい〜
雨の中
色とりどりに
咲く宝石
あなたはまるで
紫陽花の花言葉のようなひと
〈あじさい〉
あじさいの色が変わる前に、花壇に埋めたものをどこかに隠さないと。
あじさいの季節。
相合傘をしながら。
君と見に行こう。
紫陽花を庭に植えてはいけないのはなぜですか?
水の気を吸いつくすため恋愛運を吸い取り、未婚女性が家に根付くとされることから、庭に植えるのは縁起が悪いとされています
外で見るものだよ👁👁!あじさい祭り
「あじさい」
あじさいの花言葉:
<和気あいあい> と同時に <浮気>
<強い愛情> と同時に <無情>
色によっと花言葉の意味もちがうの知ってた?
同じお花でも真逆な一面を持っているの。
あじさい
厚い雲がかかる。光沢のない、鈍い鉛色。人は上を見て、嘆息を吐く。雨模様を悟って。天気予報を見なくても、傘が必要になることは勘が促している。僕の場合は、勘よりも先に偏頭痛が、今日の項垂れた天気を痛みに変えて受信していた。
学校に向かう途中ですでに、薄い線の雨が空から落ちてきた。あまりに薄くて、はじめは気が付かない。夏の訪れを予感させる、じめつく暑さ。そんな空気のなかでも、学生服の長い袖に腕を通して、長い裾に足を通せば、肌の露出は格段に少ないから。たまに頬を掠める冷たいものが、「ああ、降り始めたかも」なんて、頼りにならない気づきで、薄い線の注ぎにようやくピントを合わせようとするのだ。
雨が降る日が増えてきた。温暖化というものの影響なのか、年々、季節の境目が不明瞭になっている気がする。そのためか、梅雨入りさえもはっきりとしない。新聞も、ニュースにも、興味がないから、本当はテレビのどこかで、「梅雨入り」の報告があったりもするのだろうけど、僕は情報の外側で、雨乞いとは真逆の晴乞いを、心でそっと続けるばかりだ。
校舎に入ってしばらくすると、談笑や、講義中の声にノイズをかけるみたいな雨が降り出した。日常に集中をしていると、意識の枠から外れてしまうけれど、ふと、なにかのきっかけを得たように、雨音は鼓膜を衝きはじめる。地面を打つ激しさ、窓ガラスに跳ねる軽やかさ、水溜りに沈む侘しさ、その全てを、雨晒しから身を守る安全地帯の表側で、演出している。多くの人に存在を嫌われながらも、それでも気がついてほしいように、煩わしいほどの音を立てて。僕らから、日常への集中を奪っていく。どうだろう。そのせいなのだろうか。今日は一段と、学校のなかは静まり返っている。
下校となり、持参した傘を広げて外に出た。
雨の激しさが、足元を素早く濡らしていく。
地面の窪みに広がる、水たまり。踏まないために、僕は。僕らは、下ばかりを見て歩いている。頭痛は続いている。湾曲した首の後ろが、なんだか重たい。やはり、雨は嫌いだ。否が応でも、こちらの気分を虚にしてくるから。光沢のない、鈍い鉛色。雨続きのここ最近は、世界がどこか、色褪せて見える。
泣き笑いの顔で、でもこちらに向いた視線は真剣で。
それでいて優しく声をかけてくるから戸惑った。
何もかもちぐはぐ。だから目が離せなかった。
色変わりする最中のアジサイのように見えたんだと、初対面の印象を伝えられたのは何年も経ってからだった。
何、それは褒めの領域?と君は曖昧に笑った。
褒めようとしたわけじゃなくて、ただ、僕にとって君はずっとあの花のような存在だった。それを伝えておきたかっただけなんだ。
笑う、花のような君に。
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あじさい
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所感:
空色のアジサイが好きです。