春爛漫
今年は桜が満開の時、強風が吹いて陽気のいい日があまりなかったように思う。4月から新しい会社に行っていて、新しい業務を覚えるのに忙しく、桜を見る余裕がなかった。4ヶ月間仕事をしなかったので、体が鈍っていたので、4日目には体の疲労を感じ、週末は体のあちこちが痛かった。
春爛漫での思い出は、小学生の頃の花見だと思う。旅館の大庭園にある桜の近くで、家族や親戚と花見をしたことだ。あの頃が一番幸せだった。みんなで集まって、飲み食いをして楽しんだことや、旅館の温泉に浸かったことが、今でも鮮明に思い出せる。
あとは、20代の頃にバスケの仲間と公園でバーベキューをしながら、花見をしたこと。あの時は夜だったこともあり、すごく寒かったことを覚えている。あの時は、若さで乗り切ることができたが、今だと寒さに耐えれるだけの体力はない。
もう一つあるとすれば、社会人3年目の春に花見に誘われたことを思い出した。あの時は川の近くで、少し寒かったように思う。街灯もなく暗くて、桜を見ることができなった。ただお酒を飲んでいただけだったと記憶している。
誰よりもずっと
若い時は誰よりも優れていると思っていた。でも世の中を知るたびに、自分がどれだけ無能だったか、思い知らされた。
若気の至りとはよく言われるが、まさにその通り。歳を重ねると自分の限界も見えて、慎重に行動しているが、いまだに自信過剰なところが出てしまうこともある。
今はその頃の自分が恥ずかしく思えるくらい、自責の念に駆られている。謙虚に常に感謝も忘れずに生きていこうとしている。なかなかできることではないが、少しでもできるようにしている。
最近はあまりにも自分を卑下し過ぎないようにしている。そうしているとつまらない人生を送ってしまうように思えるからだ。歳をとると新しいことにチャレンジしようと思っても、二の足を踏んでしまう。だから、謙虚にでも大胆に行動しようとも思っている。
そうすることで新しいことに、チャレンジできるような気になるからだ。
沈む夕日
大人になって夕日を見なくなった。親の介護で仕事が終わると、急いで家に帰る日々だ。20時30分まで親の面倒を見て、ベッドに寝かせるのが毎日に日課になっている。ベッドに寝かせれば、あとは自分の時間だ
時間節約のために、歯磨きをしながらアニメやドラマを見て、こうやって文章を書いている。集中力が散漫になることもあるが、やりたいことを全部やろうとするとこうせざるおえない。
休みの日には時間に余裕があるので、音楽を聴きながら書くことができるので、筆が進む。
もっとスラスラ書けるようになれば、短時間で作品ができるようになる。まだまだ精進が必要だ。
君の目を見つめると、その透き通った瞳が、私の心を鷲掴みをして離さない。その瞳を見ているだけで、私は幸せになれる。大きな瞳ではないけれど、君の澄んだ瞳は澄み切った青空を思い出させる。
姪っ子の目もそうだった。幼い子の目は純粋でキラキラと輝いていて、すごく綺麗に見える。無邪気な笑顔を見るだけで、私も笑顔になれた。大切にしたいと思える存在ができるなんて思わなかった。いるだけで明日も頑張れる思う。
星空の下
二十代の頃、山里の知り合いの家に向かう途中、夜空を見上げたら、満天の星空を見ることができた。今でもその山里に行けば、同じように見ることができると思う。
今は視力が落ちてしまったので、夜の運転はなるべくしないようにしている。私の住んでいる所は、空が澄み切っている時は、たくさんではないけれど見ることはできる。
星空を見ている時は、何も考えずただ星を見ている。邪念もなく、無の状態でいることができた。空気も澄んでいて、気分もリラックスできる。繁華街にいると明るくて賑やかだが、心を落ち着かせるには、向いていない。
高校の頃、山の室堂に泊まったことがある。山の夜空は、今まで見てきた夜空の中で、一番綺麗だったことを覚えている。両親が山が好きでよく登山をしていた。私は自然は好きだけど、山に登りたいとは思わないので、高校で山を登ったのを最後に登っていない。
今回のことで、久しぶりにあの山里に行ってみようと思う。