唯一、私が傘を忘れた時に傘を差し出してくれた、あなたに言いたい。
こんな情緒不安定な私に、愛想を尽かさないでいてくれてありがとう。
今さらこんなこと言ったって、あなたの耳には届かないかもしれないけど、私はきっとあなたがいなければ、とうの昔に死んでいたと思う。
だから…本当にありがとう。
…なんて、言うと思った?
あんたは所詮、人なんてどうだっていいんでしょ?
そんな薄情な人間に感謝する必要なんかない。
私はありがとうが一番嫌いだから、大っ嫌いなあんたに伝えるよ。
クソでいてくれて、本当にありがとう。
早く死んでね。
金平糖は甘くてカラフルで、とても苦くて白黒だ。
なぜこんなにも非対称な表現をしてしまうのか、私にも分からない。
けど一つだけ分かるのは、私が金平糖をあまり愛していないということだ。
小さい時からよく食べて、慣れ親しんだ味のはずなのにこう思ってしまうのは私の性格が災いしているからかもしれない。
可愛くて華やかなものが嫌い…その性格が。
生きる意味なんて、本当はないのかもしれない。
自殺防止のポスターを見てそう思う。
結局生きるか死ぬかなんて自由だし、自殺は絶対しちゃいけないものじゃない。
それこそ、しないようにしようっていう努力義務だ。
人は死にたいと打ち明けられたら、その人の生きる意味を探し出す。
親が悲しむとか、仕事があるだとか、そんなクソみたいな理由で私の感情を押さえつけてくる。
それが嫌だと思いつつも、嬉しいと思ってしまうから、自分が結局どうしたいのかも分からない。
生きる意味…じゃなくて、生きなきゃいけない意味を下さい。
善悪の判断って、何が正しいのか分からない。
私にとっての善でも他の人にとっては悪かもしれないから。
例えば、雨で濡れてる人に傘を差し出したとする。
私にとってはその人のためを思ってした善。
だけどその人にとって私は、雨に濡れるのが好きなのに邪魔してきた悪になる。
そして私は自分がした善を受け入れなかったその人を悪として見る。
こうして私たちはお互いに勘違いしたまますれ違って、もう交わることもなくなる。
それが本当の悪なのに。
流れ星に願いを唱えると、その願いが叶う。
昔からそう聞いていたから、私は頭を深々と下げてお願いした。
『どうか、傘に入れてくれるような優しい友達が…本当の
友達が出来ますように』
…って。
だけどいざ雨が降っても、誰も傘には入れてもくれないし、当然仲間にも入れてくれない。
こんな嘘だらけの伝説を今でも信じている人がいるなら、不憫でならない。
こんなもの、雨と一緒に消えれば良いのに…。