金閣寺は絢爛豪華に彩り満たされた美を表している
一方、銀閣寺は「わび・さび」を体現するかのように、欠けたものの美を表している
満月と三日月の関係はこれと同じだろう
どちらも異なる美を表している
K
シンプルに『雪』とだけ書かれたタイトルの本がある
当然ながら「雪」に関する本だ
読んだことはないが、表紙の図を見ると幾つかの雪の形がスケッチされている
雪は単なる「点」ではなく、一つ一つが差異と形を伴った貴重な「作品」なのかと思った
K
「幸せとは○○です」
人によって異なるであろう「幸せ」が、「○○です」と断言されているのは、酷く安直に感じる
最低限「あなたにとっての」という一文を置くのが望ましい
「あなたにとっての幸せは○○です」
やはりこれでも引っかかっりを感じてしまう
その人の「幸せ」というのは変わらない、つまり、不変のものなのだろうか
そんなことは無いだろう
となると「「今の」あなたにとっての」という一文を置くのが望ましい
「今のあなたにとっての幸せは○○です」
ダメだ、やはりこれでも違和感を感じる
なぜ他人に「○○です」と断言されているのだろうかが謎のままだからだ
「今のあなたにとっての幸せは○○かもしれないね」
長々しくなったが、この形が一番しっくりくる
「幸せ」とは、少なくとも「断言」という形では言い表すことができないものだと考えている
K
「日の出」
始まりを告げるものという印象がある
「日はまた昇る」という言葉は、新しいスタートを意味する
日の出というものが本当に始まりを意味するものであるなら、僕は出遅れ人間だ
日が沈み出してからの方が、もっと言うと深夜の方が何かと活発的に動ける
僕にとって日の出は始まりを意味しない
むしろ学校や労働の始まりという意味で、自由な時間の「終わり」を意味する
勝手に「始まり」を決めてもらわないで欲しい
「始まり」というのは人によって異なるもののはずなのに
K