コロナ禍ほど時間や機会が失われた事が、
戦争以外で日本にこれまであっただろうか。
3年。
不要不急の外出・移動を避ける。
これまでそんな経験、誰もしてこなかった。
たくさんいろんな所へ行き、いろんな経験を積み、
何かの機会を得ようとした人のチャンスを奪い、
時間だけが経過した。
それこそ失われた時間だったように思う。
また、同時にそのような時間でさえ、
“コロナ禍という経験”として活かそうと、
できることに時間を費やしていた人もいる。
失われた時間にしないため、
良い機会に変えるため。
そうなれば、コロナ禍が失われた時間かどうかは、
その人次第なのかもしれない。
与えられた条件は同じ。
どう過ごすかは、その人次第。
そういうものなのかもしれないとも思う。
#失われた時間
100円を握りしめて駄菓子屋さんに行っていた頃。
学区の中が日常の行動範囲だった。
進学するにつれて少しずつ範囲が広がり、
高校生になると繁華街へプリクラを撮りにでかけた。
大学になると地方へ出て一人暮らしをした。
初めてバイトで稼いだお金は、
友人と旅行に使った。
やれる事が増えていき、
知らない場所へどんどん行くようになった。
社会人になった今も、
まとまった時間は少なくなったけど、
もっと遠くへ、まだ知らない場所へと
自由に動き回っている。
大人になって確かに責任やしがらみは増えたけど、
子供だったらできない事が、今、できている。
子供のままの自分も連れて。
子供の頃の自分にスゴイと思ってもらえるくらい、
できることを増やしていく。
今度はどこに一緒に行こうか。
#子供のままで
旅が好きだ。
ここではないどこかに自分を置き、
出会わなかったであろう人たちと出会う。
知らない場所が知っている場所になっていく。
そこに暮らす人々の様子を知っていく。
そして自分はどうしたいのかを見つけていく。
そんな旅が好きだ。
いつまでも旅を愛する旅人でいたい。
#愛を叫ぶ