引越の支度をしていて
いろいろ思い出していた
荷物をまとめながら
いつの間にかこんなに荷物が増えていたこと
家族が増えていたこと
思い出も増えていたこと
新しい家に向かう希望よりも
いまは、ここで暮らした長い時間の
懐かしさと想い出
センチメンタルに押しつぶされそう
『たくさんの思い出』
雪が降る前に会いに行くよ
ボーナスを当てにして
コートを買いに行こうよ
昔、黒のロングコート買ったときに
バカにするから
ケンカになったじゃない
今年は、ちょっと明るい色のコートにしようかな
御意見無用でお願いします
でも、似合ってなかったら
ちゃんと言ってよ
また、ケンカになっちゃうかな?
久々に一緒に買い物
たのしみ
コート買うと、冬のおでかけが楽しみだよね
『冬になったら』
その大きな腕で
抱きしめてほしいだけ
その長い指で
ばかだなぁって
頭を撫でてほしいだけ
気にしてないふりしているけど
ホントはいつも一緒に居たいの
一人でいる部屋は淋しいよ
窓から昼の月を見た話をしたいの
散ったイチョウの葉が降っているのが
綺麗だった話をしたいの
早く帰って来てよ
あなたのことを考えながら眠るのも好きだけど
あなたにそばで眠るのが一番好き
『子猫』
さようなら
さようなら
お疲れ様でした
また会いましょう
握手でお別れ
もう二度と会わないあなたに
おまじない
どこかで見かけても
声は掛けない
大嫌いだったあなたへ
おまじない
『また会いましょう』
お化け屋敷は、数える程しか行ったことは無い。
それも、乗り物に乗ってまわるのではなく、自力に歩いてまわるとなると、私の記憶では1回きりだ。
地元のお寺では、初夏にお釈迦様の誕生日の祭りをやる
地元の人は「おしゃかさま」とそのお祭りのことを言うが、釈尊降誕祭(花まつり)が正式な名前らしい
お釈迦様の誕生日は、4月8日なのだが、旧暦でやるので、私の子どものころ「おしゃかさま」は5月8日と9日だった。
その頃は、本当に大きな祭りだった。
屋台が境内のほかにも、近隣の車道が通行止めになり、お寺までの道の両側にも屋台が並び、幼稚園や学校が終わった午後に祖母や父親に弟と一緒に連れて行ってもらうのが楽しみだった。
でも、祖母や父から「何か欲しいものあるか」とは言ってもらった記憶は無い。イヤ、言ってくれたのかも知れないが、端から端まで魅力的な屋台を前に、なかなか「これ」と言えなかったのか、言ったが「ダメ」と言われたのか、もう記憶に残って無い。
いつも「金魚すくい」をして「綿菓子」を買ってもらって帰って来た。
ピンクや青のヒヨコは欲しいとは思わなかったが、リンゴ飴は食べてみたかった。
境内には、掘っ立て小屋の怪しさ満点の『見世物小屋』や『お化け屋敷』が建ち、おじさんの呼び込み口上に、子どもには怖いもの見たさで、心くすぐられたが、本当に怖そうで、自分から入りたいとは思えなかった。
ある年、幼稚園に入ったばかりだった弟が言ったのか、『お化け屋敷』に入りたいということになった。
看板に描いてある「ろくろっ首」などの妖怪の絵が気になってはいたが、「入ってみたい」と言ったところで、父が連れて入ってくれるとは意外だった。
お化け屋敷は、真っ暗闇で、3人で入った途端に人が出てきておどかされた。
それ以降、弟は父の左足のズボンにしがみついて顔を埋め、私は父の右わき腹に顔を埋め目をつぶったまま、引きずられるように歩いた。
父も、子ども一人なら抱き上げるなり、背負うなりできただろうが、二人の子どもでは、引きずるように歩くのが精一杯だったろう。
最後まで順路を歩いたのか、それとも入口に戻ったのかさえも、右わき腹に突っ伏していた私には分からなかったが、そんなに長い時間には感じなかったので、入口に引き返したのかもしれない。
私の初めてのお化け屋敷は、ただ
ただ、父のべルトにしがみつき、わき腹に顔を埋め、目を強くつぶり、引きづられるように歩いた記憶だけだ。
それ以降、お化け屋敷に入ったのは、高校生の遠足で遊園地に行った時までなかったし、歩いて入るお化け屋敷は、その後は一度も無い。
きっと、子どもが入りたいと言ったら私も父のように、子どもを引きずったり、抱き上げたりしながら、歩くのだろうなぁ、自分が本当は怖かったとしても・・・と思う。
今度、実家に帰ったら、あの時の事を覚えているか、父に聞いてみよう。
『スリル』