空を見上げて思うことは、救い。
息苦しい程の苦痛や孤独、虚しさや悲しみを感じる時私は空に救い求めて見上げている。目に映る空の色や雲の質感がほんの少し心を洗ってくれている様に感じる時もある。これまでもそうであったし今後も私は救いが欲しくなって上を見上げるであろう。そこに自分の探しているものが見つからないかもしれない。それでもやはり私は下ではなく上を見上げ疲れたら前を見据えて歩きたい。彼の隣へと。
この諦めの悪さ、きっと生きていく上で今後役に立つことだろう笑
欲張りになった今は彼と共にある事しか頭にない。世界で一番好きな人だから。空を見上げて心が洗われたら、今度は私が彼の心をそっと包みたい。
彼の「救い」になりたい。( 結局今は何を見ても彼しか浮かばない笑)
簡単に「終わりにしよう」としないで。
私は終わりなんて信じない。ここから挽回してみせる。
私はあなたを終わりにはしない。何故ならあなただから。思い通りにいかなくても、2人なら乗り越えていけると信じてる。今は休息が少し必要なだけ。いつも呆れちゃうくらいに好きです。
恋が終わった。
私の勘違いかとずっと思っていた事がある。
時々街中で、駅で、道の向こう側に彼に似たような雰囲気の人とすれ違った感じがした事がある。
その人のシルエットや醸し出す雰囲気が私の好きな人に本当によく似ていた。今思うにあれは紛れもなく彼だった。
そう感じる度、まさかある訳ないと自分に言い聞かせて真っ直ぐ前を見据えて道を歩いていた。あの時、立ち止まってその人をちゃんと確認したら何か違っていただろうか?
好きな人がストーカーだったら嬉しかったのに...
運命は残酷なもので、はっきり好きで仕方ないと自覚してからほんの何日かで恋が終わってしまった。
最悪の夏が来てしまった様だ。
でも彼のことはずっと好きだし、忘れられない。
無題
窓越しに見る世界が私にとって多少安心するものであるならば、ファインダー越しの世界を見るのはどうだろう?
ずっと写真を見るのは好きだった。そこまでのめり込んだ事はなかったが。特に旅行先でファインダー越しに見る世界は素晴らしいと思う。何よりその時の空気感をそのままに好きな様に切り取る自由が心地良い。ただ困るのは、時々自分が何を撮りたいのか何を感じているのかが全くわからなくなるという事。あの無の感覚が私を混乱させ不安になる。
写真を撮るなら私が何か感じたもの、浮かんだイメージに近いものを撮りたい。一番撮りたいのはもちろん彼。空、それから動物、あとは妹夫婦や姪、甥、木と水のある風景とか、ぐっときた人物のポートレートを撮りたい。
つまりこの世の中にある、私の特別好きなものは勿論の事、その瞬間瞬間の自分の中に感じた「素敵」をもっと素敵に撮りたいんだとそういう事だと思う。そしたら生きていくのも、少し怖くなくならないかな?あー..でも隣に彼がいてくれて、一緒に笑えたらそれだけでもパワーを貰えそう。
もし出来るなら、親の写真も撮ってみたい。もうちょっと心身が整ったらそこも考えて見ようと思う。
目が覚めると時々本能の声が聞こえる。それはイメージだったり言葉だったりする。
この所、頭に浮かぶのは彼のこと。
今朝も又妹が諦めるよう説得してきた。彼女は特にこの件については反対らしく、私が何か言えば断念する様にいってくる。年齢の差とか問題なのは重々承知なのだが、どこからどう考えてもやっぱり彼ほどの人はいない。
そもそも私自身の思いを尊重もせず、一方的に気の迷いみたいに決めつけて諦めさせようとする事に不満を覚える。彼女が現在の旦那さんと結婚したいといった時、私はそれを尊重したし、バツイチの彼氏を懸念し動揺した母を説得したのは私だ。妹の幸せは彼女が決める事ってそう思うから。
久しぶりに人と交流したからとか、特別な状況下だったからという理由でこんなに人を好きになんかならない。ここまで好きなのは唯一無二だから。これからの人生、彼と辛さも嬉しさも彼と分け合って生きていきたい。一度しかない人生、彼と共に生きたい。彼じゃないと逆に困る!心から支えたいのは彼だけ。
私は残りの人生彼と一緒に生きたい。今日から欲張りになる!今やっと「自分がわからない」から脱却した!