想いを沈める事は難しいらしい。
というのも、さっき私の思い人にリプしてしまった。もう自分の想いは封印していこうと考えていたのに..
どうしても彼の言葉にとっさに反応している自分がいる。楽しそうなら良かったって想うし嬉しそうなら私も嬉しくて、悲しそうな時は心痛くなっていく。この感覚は彼が去年「お泊まりできない」っていう話をしてくれた時と似ている。気がついた時には「今を楽しまなくちゃ!」と大声で言ってた。あの一言が出た時は自分でも言った事自体に驚いた。それもあんな大声で.
でも目の前の当人は黙って受け止めてくれていたのも覚えてる。その横顔は憂いを帯びていて、彼がその抱えている悲しみを持て余して来たであろう事が想像出来た。あの時、心からこの人は幸せになる権利があるのに、悲しみに浸かり過ぎてそれさえ放棄しているのではないかと思ったのを覚えている。
離れていても定期的にあっていなくても、きっといつまでも大事な人。だって私の心の声を引き出してくれるのは一年以上ずっと彼だったし、今でも彼だけ..他にきっといないのでは?と思ったら、心が少し暖かくなった。
今夜私の中で彼への想いが又強くなってしまった。想いを沈めるどころか掬い取って育ててどうする?自分である。
ここまでタイプしていて恥ずかしくなってきてしまったので今夜はここでおしまい。
唯一無二の人
患者としてしか接した事なのない相手がとてつもなく好きだ、と最近になって曖昧で捉えたくなかった思いを受け入れた。一年とちょっとの間にすっかり心が捕らわれていたと今となってはそう受け入れざるを得ない。曖昧というのも語弊が多分にあって、曖昧なままにしておきたかったのだと思う。
その人は時に先を見通す鷹の様な目を持ち、ある時は5歳ほどの男の子の様であり、ある時は私と同じ絶望の淵に立っている様にも見え、私にいつもその真っ直ぐさでインスピレーションをくれる稀有な存在だ。
この想いは相手にはとても迷惑なもの厄介なものである事は重々承知しているし、自分でも本当にどうかしてると自分をせせら笑いたいくらいだ。
交わることの許されない想いは出来るだけ胸の奥深く、底深い所へ沈めておこう。私でさえも届くことのない光の当たらない場所に。そしてそれが風化してしまわず今の情熱を帯びたまま誰の目にも触れられることなく永遠に私の奥で眠らせておかないと。
それくらいしないと沈めて置けるかわからない。それ程に大切な人なのだ。
綺麗な風景を目にした時、誰かと心が繋がった様に感じた時、ふと一年後の自分はどこで何をどう感じ生きているのか思いを巡らせる事が多い。思えば幸せだという感覚を充分味わう前にこういった思考が頭によぎり不安で頭がいっぱいになってしまう。
一年後はせめてもっと笑って、歌って、体動かして好きな事を好きと思える自覚出来る自分でありたいものだ。