『暗がりの中で』
いつも光をくれるのは、あなただった。
あなたがいたから、この闇も、悪くはないと思っていたんだ。
「え……?」
「だーかーらー! 私、結婚することになったの!」
左手の薬指に輝く指輪を見せびらかしながら、彼女は私の大好きな笑顔を見せる。
「お父様の知り合いの息子さんでね、私に一目惚れしたんだって。何回かデートしたんだけど、優しいし気が利くのよね。顔もかっこいいし」
聞いてもいないことをベラベラと話す彼女は、私が見た事のないくらい、とても嬉しそうだ。
「それにね、私のことが大好きだっていうのが伝わってくるのよ。愛を惜しみなく表現してくれるの。素敵でしょう?」
そんなの、私の方が彼女のことを愛しているし、私だって愛を伝えてきたのに。
「結婚式には、あなたも来てくれるわよね? 友人代表の挨拶をして欲しいの」
最悪。最悪最悪最悪。人生で最も悪い。
私はこんなに愛してるのに、彼女は私を友達としか思っていなかった。
今までの闇なんて、ただの暗がりだったのだと思うほど、漆黒の闇に突き落とされた気分だ。
「そう。あの頃の約束をずっと覚えいたのは、私だけだったんだね」
暗がりを照らしてくれる光は無くなった。
それなら、闇の中に引きずり込めば良いだけだ。
同じ闇にいれば、あなたは輝いてくれるでしょ?
『紅茶の香り』
「うん、良い香り。やっぱり、紅茶はダージリンよね。あなたはストレートで飲むけれど、私はミルクティーが好きなの。お砂糖はたっぷり入れて、あまーくしたものが良いの。そんな甘い紅茶に合わせるのは、もちろん甘いお菓子よ。お砂糖たっぷりの生クリームがたっくさん乗った、真っ白なショートケーキを用意したわ。それから、マカロンに、クッキーも。ふふっ、素敵なティータイムになりそうね」
嬉々として話す彼女の前には、テーブルと二つの椅子。
その椅子の一つには、男性が座っている。いや、座らされている。
椅子に縛られて、無理やり座らされている彼に、命の鼓動は無い。
およそ人間の肌の色とは思えない、どす黒い色をした彼に対して話しかけている彼女は、正常とは言えないだろう。
テーブルの上には、ハエがたかった異臭物。彼女が注いだものはベタつく血液。
彼女には一体何が見えているのだろう。
死体の腐敗臭にゴミの異臭。この部屋に警察が来るのは時間の問題だ。
こうなってしまった彼女にもう用はない。
また次の実験体を探さなければ。
私は彼女らの監視を止め、部下に証拠隠滅を指示した。
『愛言葉』
「おはよう。今日も良い天気ね」
カーテンを開けて、部屋の中に陽の光を取り込む。
「今日は入浴の日だから、ちょっと早めに起こしたわ」
もう自力では何も出来なくなってしまった彼は、昔のように微笑んではくれない。
「そろそろ髪切ろうか?伸びてきたね」
そっと彼の髪を撫でると、彼がわずかに口を開けた。
「なあに?」
上手く話せなくなってしまった彼の言葉を、ひとつも取り零さないように、彼の口に耳を近づける。
「ま……が、れ……と……」
彼の言葉にハッとする。
彼が言いたかった言葉が、私の思った言葉なのかは分からないけれど、それでも、心の奥がグッと熱くなった。
「マーガレット?」
少し震えた声で問えば、彼は緩く頷いた。
「そう、そう……。覚えていてくれたのね」
堪え切れない涙が溢れ出して、頬を濡らす。
随分と細くなってしまった彼の手を握り締めて、私は嬉しさに、ただただ涙を流した。
マーガレット。それは、私の誕生日に、彼が毎年欠かさずプレゼントしてくれたもの。
出会ってから六十年。共に歩むと決めてから、五十五年。
私たちの愛言葉。
『友達』
「私たち、友達でしょ?」
彼女は、天使のように微笑んでいるつもりなのだろうが、私には悪魔の笑みにしか見えない。
「友達なんだから、裏切ったりしないよね?」
友達なんて都合の良い言葉、誰が考えたのだろう。
「それとも、友達だと思ってたのは、私だけだったのかな?」
悲しそうに眉を八の字にして、今にも泣き出しそうな表情の彼女。
これが演技なのだから、人間というのは本当に賢い生き物だ。
「ね、友達なんだから、言うこと聞いてくれるよね?」
問いかけにしては、断定的な言い方。
そんな言われ方をされたら、私は頷くことしかできない。
「ありがとう!あなたと友達で良かった!」
友達だなんて微塵も思っていないくせに。
本当に、友達って何なのだろう。
『行かないで』
どんなに強く願っても、どんなに強く想っても、言葉にしなければ伝わらない。
どれだけ想いが強くても、言葉にしないまま自分の心に閉じ込めていたら、その想いは届かないまま。
あの時、勇気を出して伝えていたら、あなたは今でも私の隣に居てくれただろうか。
たった一言、一秒もかからずに言える言葉を飲み込んだのは自分なのに、どうしても「もしも」を考えてしまう。
後悔しても遅いけれど、後悔せずにはいられない。
一度も振り返ることなく去って行くあなたの背中が、いつまで経っても忘れられない。