よくSNSやテレビで赤ちゃんを優しげに見守る犬や猫の動画が流れてきたとき、いつかうちにも家族が増えた時にはこんな光景が見られるのかもしれないと期待していた。
でも、いざ小さな命を授かって、ちいこい赤ん坊が家に来ても、我が家の愛犬はいつも通りで、赤ん坊が寝ているベビーベッドを覗き込むこともしなかった。
まぁ、元来賢くてクールなところが特徴の子でもあったからしょうがないか。と、大きく期待していた訳でもないけど少し残念な気持ちを持ちながら私はひっそりと少し肩を落としていた。
そんなある日、ちょっとした事件が起こった。
愛犬がいたく気に入っていた人形の手足を愛犬の目の前で娘が引きちぎってしまったのだ。
私は軽く焦った。
随分前にも、うちのコにはお気に入りのボールがあって、毎日のように遊んでは、毎日口にくわえて寝るほどにそれはそれはとても気に入っていたものだった。
だが、そんなボールも2、3年もすると経年劣化というものには負けてしまうもので、徐々に徐々に欠けていってしまって、最期には、くわえたときの衝撃でバラバラに壊れてしまった。
当人のそのコはというと、ボールを失って暫くは酷く落ち込んだ様子でいつもは立てている耳も数日はぺしょりと垂れさせてしまうほどの落ち込みようだった。
さすがに、またあそこまで悲しむ様子は見たくない。
いつもはクールで優しいあのコがしょげるところを見るのはなかなかに心が痛むものなのだ。
人形がちぎれた反動でクッションの上にひっくり返って泣いている我が子を抱き上げて慰めながらあのコにどう言い訳して慰めようかと考えて、恐る恐るあのコに目を向けようと顔を上げると、さっきまで力の限り泣き叫んでいた娘が肩口で笑っていることに気がついた。
どうしてだろうと振り返ってみると、今まで娘に積極的には近づこうとしなかったコが娘の涙を拭うように頬を一生懸命にぺろぺろと舐めていた。
まるで泣く娘を必死に慰めるような心配した面持ちで。
こんなことはじめてだ。
あの人形は、常に肌身離さず自分の傍において、たとえ家族でも、誰かに取られると悲しげにくぅんとひと泣きするぐらいにはお気に入りのはずなのに。
そのコは人形を気にすることはせずに愛犬は必死に娘の頬を舐めていた。
その光景を見て私はふと、思い出した。
私が辛くて泣いていた時もこのコはいつもこうして慰めてくれていたことを。
そうか、少なくともこのコにとって娘はもう大切な家族なんだ。私は直感でそう受けとった。
テレビのようにずっと子供の傍にいて守ってくれている訳では無いけど、このコはこのコなりに私たちの新しい家族を大切に見守ってくれているんだ、と。
なんだか、ひどく暖かいものがじんわりと体のうちに広がって、産後で緩みきった涙腺が熱くなるのを私は感じた。
涙をこらえて私は、愛犬と娘をかき抱いた。
「ごめんねぇ、ありがとうねぇ、クロ。今度は代わりにめちゃくちゃ大きい人形買ってあげるからね。」
と泣き笑いしながら私が言うと、それは、いらないというように、抱きしめられたままクロが冷めた声でワンっ!とひと鳴きするものだから、私はぷッと噴き出してしまった。
――お気に入りよりも
お題「お気に入り」
誰よりも優れていたいと願っていたあの頃よりも、自分だけの大切なものを見つけた今の方が不思議と人生が明るく見えた