勇気という言葉がキライだ。
勇気を出せば何でもなんとかなるってわけでもないのに何かにつけて勇気、勇気、勇気と、綺麗事には大体この単語が使われる。
街中で見つけた日には少し荒んだ気分で背中を向ける。
綺麗事とセットで語られるこの言葉がとにかく私の背中をゾワゾワとさせる。
本当の本物の勇気っていうのは綺麗事のキャッチコピーではなくて、自分の心の中で小さく、でも行動せずには居られなくなるような確かな気持ちと一緒に唱えられる呪文やおまじないのような類であってほしい。
他人に言い聞かせて押しつけるばかりのものが大きな勇気とするならば、自分だけに言い聞かせるものは小さな勇気、でも本物の勇気と言うものだろう。
自分を大事にする。よく言われることだけれど、どういうことだろう?
検索してみると「趣味や好きなことでリフレッシュする」、「嫌なことは嫌という」、「自分を褒めてあげる」、「大事な意思決定は自分でする」……と出てくる。
趣味や好きなこと?わからない。
嫌なことは嫌という?尊重されることもないのに。
自分を褒めてあげる?褒められるようなことをどれだけしただろうか。
大事な意思決定は自分でする?決定が覆され否定されることがあっても?
自分の趣味も好きなことも忘れ、褒められる記憶もなく、否定も決定も他人に嫌われ拒絶されることの恐れが勝る。
臆病な自分がこれからどれだけ自分を大事にすることが出来るだろうか。
自己が無いまま、他人の望むまま、ありきたりで生きてきた。
いっそこのまま、自分が何者かわからないままで他人に望まれる姿で生きていく方が世間から見れば正解なのだろう。
自分独りで生きていくことは出来ないし、他人との関わりを断ち切れない以上、ある程度の好感度は必要だろうから。
ただ、それは本当にそれでいいのだろうか。
最初は難しいかもしれない。
臆病な自分を否定せずに受け入れ、多少他人から否定されても、検索結果に出て来たことをこれから1つずつ、実行することが出来たら初めて自分は自分を心から褒めることが出来るだろう。