花へ自分の想いを込めて、贈る。
青く小さな花たちが、あなたの胸で咲いている。
私を忘れないで、なんて花言葉、あなたはまさか知らないでしょう。花にはめっぽう疎いあなただから、こうしてそっと贈ったのです。
そう、とてもきれいな花だから、あなたへ贈ったのです。
放課後に、友だちとどちらが高く漕げるか競走をした。ある時はあの人と隣同士、手を繋ぎながら優しく漕いだ。ひとりでぼんやり、変わりゆく空を見送ることもあった。
前に後ろに、規則正しくゆらゆら揺れる。進んでもいい、戻ってもいい。止まってもいい、降りてしまうのもいい。周りは勝手に廻っていく。変わっていく。
わたしはもう少しここでのんびりと、空の模様を眺めます。
お隣、座りますか?もちろん、どうぞ。
今日も一日、旅をする。
嬉しい事、しんどい事、楽しい事、辛い事。歩けば歩くほどいろんなものに出会うから、そのたび鞄へ入れるものを整理する。背負ったり抱えたり誰かへと運んだり、時にはそっと置いていくのも選択のひとつ。
選ぶことによって、選べなかったものがある。後悔してもしきれなかったことがある。でもどんな選択をしたにせよ、今日という旅路の果てのひとは、とてもすてきです。ここまで歩いてきたのだから、果ての場所でくらい、足を伸ばして、息を吐いて。
わたしもそうします。明日も良い旅路を。
全国の、『配達』を職業としているひとをおもう。
毎日まいにち、遠いところまで車を走らせ、重い荷物を持ち、階段を上がり、時間通りに配達をしてくれる。それがどれだけありがたいことか。
遠いところへ住んでいる友だちへ、通販で誕生日プレゼントを贈れることの、なんとすばらしいことか。
あなたがいるから、届けたい想いがとどくのです。
わたしには感謝を述べることしかできませんが、どうか受け取ってください。
あなたへ届けたいのです。
『愛する事』は『ゆるす事』だと思っている。
自分も他人も、みんなそう。
素直になれなくてもいい。うまく表現できなくてもいい。口下手でもいい。失敗ばかりでもいい。怒っても泣いてもいい。それがあなたであるのなら、わたしであるのなら、全部愛する。全部ゆるす。
100年くらいわがままでも構わない。どうせそのくらいしか生きられない。相手も自分もゆるしあうのなら大体その半分くらいしか時間はない。
節度や倫理の事なんて気になった時点でもう持ち合わせてるからそのまま気にせず愛してほしい。
あなたはあなたでいい。
わたしもわたしでいるので。
お互い幸せにいきましょう。愛してます。