夜にカーテンを開けて寝ると、朝には目覚ましが鳴る前に日差しが音もなくゆったりと起こしてくれる。
だがそんな日差しでも俺の二度寝は止められないぜ!
日差しは止めようともしない。むしろ受け入れて暖かい光で寝心地を上げてくれる。
そんなことされたら余計に罪悪感ぎ湧いちゃうじゃないか。
入道雲
誰に言われるでもなくニョキニョキ伸びていく
それを見上げようと、追い越そうと頑張ろうとはたまた無視しようとそれは私たちの勝手。
でも、入道雲みたいに他人を見下すのも、見上げて自分と比べるのもバカらしくない?
所詮あいつは雲か妖怪、あるいは自分が作り出した幻かもしれない。
「見越した」なんて言う必要ないはず。
夏といえば、臭いって思われないようにしないとと思ってしまう。夏だよ?こんなエネルギーに溢れた季節に他人から嫌われたくないということが第一に出てくるのはちょっと少し惨めかな。もちろんケアは大事。
でもそれよりも、、、仲の良い人たちとお化け屋敷とか行きたいなー
↑そう来なくっちゃ!
今僕の知らないところで誰かが働いていて、誰かが晩御飯を食べてたりするのだろうか。それともそう思い込んでるだけで実は処理が軽くなるようにデータ上だけでそうなったように処理されてたりして。
自己中な考え方だけどこう考えれば予想がよく外れることに合点がいく。いや、そもそも予想できると思ってることが自己中だね。
自分って変わってないつくづくそう思う。
1年前と悩んでいることが同じな気がするからだ。
まるで皮膚みたい。
表面がいくら変わったって中の中は変わらない。
人は変われると思っているタイプだけど18年も生きてきて変わりがないと本当か怪しいものだ。
もどかしい。もっともどかしいのはその根本にあること、ものが何かわからない。モヤっとしていること。
逆に考えると、もしかしたら変わらない原因はそこにあるのかも。
モヤっとしたものは力を加えてものらりくらり衝撃を受け流す。霧なんかそうだ。
でも硬いものは受け流せない。ばちんと受け止める。その衝撃に耐えられるか否かだ。
うち崩れる様な柱、信念の様なものがわたしの中にはないのだろう。
そう思うと途端にふにゃけてくる。何してんだろうって。
友達、有名人、街ゆく人たち、みんな自分の信念を持っている様に見える。それが当たり前だと思って自分も持とう持とうとがんばった。
でも何もない。でもそんな決めつけるようなことを言ったらソクラテスに怒られそう。「わかった気になるな」って。
だから探す。まだ時間はある方だし。