『繊細な花』のような女性に、少し憧れたことがある。
決してたくさんを見せない佇まい。
静かにそっと存在している人。
近づくのに躊躇する。
その癖、見えない蜘蛛糸みたいに、何か引っかかってくる。
そんな不思議な存在に憧れ、挑戦し、疲れて去った。
1年後
果たして生きているかどうか?
今、体や心に不調がある訳じゃないけれど、
いつだってどうなるか分からない、と思っている。
矛盾かもしれないけれど、私は良くも悪くも1年後は「楽しみ」だ。
不可抗力は除いて「なんとなく想像できる」気がするからかな?
好きな作家の新刊が出るかもしれないし、新しいしごとについて素敵な人たちに会うかもしれないし、思わぬ国を旅したり、はたまた一念発起して何かに挑戦しているかもしれない。
でも、もっと先を想像すると、心配になる。
ホントはもっと、ずぅっと先まで、夢みたいなことを考えていたい。
子供の頃は
夢ばかり見ていた。
西の空が綺麗だったら、空の先の様子を空想した。
雨の日は、傘さしながら蝸牛を戦わせた。
ガラス片を集めて、海で拾った角の取れた半透明ガラスを作ろうとした。(親に没収された)
ゲームや本の登場人物は、簡単に現実で大暴れしていた。
そんな時分のこと、すっかり忘れていた。
その時の心持ちは正確には思い出せないけれど、今も変わりない部分は残っている気がする。
日常って、どこまでがそれなんだろう。
朝起きて、仕事して、ご飯を食べて、誰かと話す。
テレビやSNSの怖い事件を流し見して、なにか思ったり、考えたり、なんにも思わなかったり。
淡々と頭に入ってすぐ出ていく感じ。
そんな中、思いがけずとても素晴らしいものを見つけた時は、ビッと涼やかな刺激と非日常を感じる。
日常の中の非日常は、境目がとてもあいまいで、出会い頭はくらくらする。
なんとなく、非日常の時間はゆっくり進んでいる気がする。少し佇んだら、さようならして日常に戻ってくるのだけど。