手を繋いで歩くのが大好きだった
離れない安心さと、歩きながら感じられる温もりが大好きだった
子どものころ、少し出かけるだけでも「ママてつなごー!」と声をかけて手を握っていた
「はいはい、ほんと手を繋ぐの好きね〜」と母親に言われても「えへへ」と返していた
母親のいつ握っても暖かい手の温もりと料理や洗濯など季節関係なく家事をして皮が厚くなった手が大好きだった
今ではめっきり手を握ることなんて減ってしまったが今でも母親の手が大好きだ
少し恥ずかしい気もするが、今度母親ともう一度手を繋いでみようか
あの頃を思い出しながら
私の運命の人はどこにいるの?
どこを探しても見つからない
ずっと探してるのに音沙汰無し
いつか出会う私の運命の人は一体どこで寄り道しているの?
もしかしたら近くにいるの?
それとも遥か海の向こう?
その日まで待っているから早く会いたい
みんなはもう見つけてるのに
なんで私だけ見つからないの?
貴方が私を見つけるまでにもう何年も経ったわ
貴方が私を見つける日まで私は大人しく待てるほど大人じゃないのよ!
もしも運命の人がいるのなら/西野カナ
大人になった今、大好きという言葉を誰かに伝えたことはあっただろうか
自分の好きな物に対して「これ大好きなんだよね!」と言うことはあるが、大人になるにつれ人に対して伝えるということはかれこれ何年もしていないだろう
大好きという言葉を素直に伝えれなくなってしまったのは何故だろうか
子どもの時みたいに好きだと思ったら好きだと伝えられなくなったのは、年齢で色々なことを考えてしまうようになったからか
いつだって自分の気持ちには素直になったほうがいいに決まっている
大人になった今、大好きというのはおかしいことだろうか?
大人になった今、大好きという言葉はいつ伝えればいいのだろうか?
叶わぬ夢をみた
決して叶うことのないはるか遠くにある夢
自分では到底手の届かない夢
自分では叶わないその夢も自分ではない他の誰かは叶えてしまうのだろう
いつもあと一歩のところで夢を逃す自分はいつしか夢を追うことも無くなっていった
夢を叶える自分を想像したい
夢を叶える経験をしたい
けれどいつだって叶わぬ夢をみてしまう
叶ったことなどないのに
花の香りと共に貴方は私の前にやって来た
花のように優しい貴方は
時に儚い顔をみせながら僕に近付く
天真爛漫で無邪気
でもときに手の届かない場所に行ってしまいそうな貴方を
僕は必死に繋ぎ止める
僕にはそれしか出来ないから
いつか儚く散って去ってしまう貴方を失わないために