衣替えをしていたのは子供の時。母さんが大きなタンスの棚を一段ずつ取り出しては、整えてくれた情景が思い浮かぶ。
西日の挿す部屋で、手伝っているのか邪魔しているのかわからないくらいにチョロチョロしながら、母さんが…私のために時間を割いてくれていることが嬉しかったんだと、今、胸に刺さりました。
自営業できょうだいも多いから、一番上の私には、母さんの手はあまり伸びてこなかったから。
だから、私の服をあれこれと入れ替えてくれる姿を見たのは、甘い記憶になった。
まぁ、せいぜい10歳ぐらいまででしたけど。
今では、衣替えなんてほとんどしないし、1つのクローゼットの上下に分かれているくらいだけど。
そうか。たまには衣替えしてみるのもいいかもしれないね。
声が枯れるまで歌ってみたり、声が枯れるまで泣いてみたり、声が枯れるまで怒鳴ってみたり。
今では歌うぐらいしかしなくなったのは、ちょっとつまんないけど。
自分の声域いっぱいいっぱいをつかって、高音域から低音域まで鳴らせる身体になったけど、たまに喉だけで歌って枯らせてしまったりもする。
声を枯らせるときは、動揺しているとき。
安定してしまった自分が、ちょっと悔しいかも。
はじまりはいつも、不意の出会いから。
偶然、何気なく、横目に見て、無意識に。
でも、潜在意識ではもう知ってた。いつか出会うと想っていて、実はやっと出会ったんだ。
相方とも、さまざまな本たちとも。
もうひとつ識っている事がある。
人は偶然という言葉に弱い。運命的なんて、想えたら天にも昇る心地になることも。
そういう心境になることも悪くないけど、それは自分で創り上げた衝動であることは自覚しておいた方がいい。
不意に出会う、その嬉しさと、やっと出会える状況を迎えた自分を褒めてみてもいい。
実は、自分のレベルを上げて行かないと手にできないものはたくさんあるから。
すれ違うのは嫌いじゃない。
あ、すれ違っているなと感じるときは、自分が相手を必要としているのを確認できるときでもあるから。
当たり前のように一緒にいる時間が増えてくると、どうしたって一人の時間が欲しくなる。
そんな時に、主に相方の睡眠時間の関係ですれ違い生活になるのは、不便な面もあるけど、悪くない。
寂しくなったら、寝顔を見に行けばいいし。
入れ替わりにベッドに入るその隙を狙ってハグしてもいいし。
寂しいとか一切想わないで、ひたすら英語の勉強したり、本を読んでいたりすることのほうが、圧倒的に多いのは内緒ですけどね。
気持ちよく晴れた日は、洗濯したかったなぁ~!と瞬間に想う。あの瞬発力に我ながら吃驚する。
そんなに洗濯したかったの?
うん、そうなんだ。
もちろん、綺麗だなぁ、気持ちいいなぁ、寒いのもいいなぁとも想うんだけど。
秋は通り雨も多いから、青空の美しさに騙されてはいけないのだけど。
洗濯、したかったなぁ。