海へ
子どもの頃以来だな、海なんて。というか遠出自体が大人になったら難しい。
いこうと思えばいけるけど家でごろごろしてたほうが安上がりで体力も回復できるからな。いく理由がない。
でも最近まんがで読んだけど多少体を動かしたほうが体は回復するらしいな。
まぁ体を動かしたほうが心身共に健康的だってのはわかるけど貴重な休みを外出に使いたくないんだよね。
だけどその貴重な休みでなにをするかといったらなにもしないんだよなね。本当にただぼーっとしてるだけで一日が終わる。
最近はだめだな。小説もなんだか書けなくなってきたしスランプってやつかな。
やる気はやり始めてから出るものだから書けなくても書かないといけない。それはわかってるんだけど書けないんだよね。
もはや俺にないのはやる気じゃなくて生きる気力なんじゃないかと思ってきてる。本格的にだめになってきたな。
裏返し
これはまた難しいお題だな。日記としてもそうだけど小説のお題としてもそこそこ難しくね?
あれかな。愛と憎しみは表裏一体、みたいな。愛が裏返って憎悪した話とか書けばいいのかな。小説は書かないけど。
しかし本気で難しいな、裏返しって。いろいろ考えてもろくなものを思い付かないぞ。
まぁこのお題はいいや。それより今日はなにか書くことあったかな。
なんか書くことないし今日はもう終わりでいいか。
鳥のように
誰だって一度くらいは思ったことがあるだろう。鳥のように生きたいと。
実際に鳥になりたいという話じゃなくて自由の話だ。どこにでも飛んでいけるその姿は自由の象徴だ。
なにもかもを捨てて好きな場所にいって好きなように生きたい。貧富に関わらず誰だってそう思ったことくらいあるだろう。
でも実際にはそんなことはできない。自由は憧れるけど実際に自由に生きたら今よりも不自由な生活になるのは目に見えているからな。
法と金。自由に生きるといっても実際にはこの二つからは逃れられない。無人島で自給自足でもしない限りは。
それに無人島で自給自足は法と金から逃れられても多くの制限がつく。医療と飲食物が自分だよりじゃいつ死んでもおかしくない。
最もそれが自由の代償ってことなのだろうけど。
結局のところ自由がほしいってのは文明圏で好きに生きたいって話であって本当の意味で自由になりたいってわけじゃないんだよな。
つまりここまでの話をまとめると、金持ちになりたいね、ということです。
さよならを言う前に
思えばさよならといったのはいつ以来だろうか。意外という機会が少ない言葉じゃないか、さよならって。
仕事での関係ならお疲れ様、プライベートな関係でもまたねとかだからさよならってどんな関係性だという言葉なんだろ。
小学生がさよーならーっていう印象があるし俺も小学生くらいの年だといってたような気もする。ただ実際はどうか知らないけど。
さよならってもう会うことのない人に使うイメージというかちょっとネガティブなイメージがあるからあまり使われてない言葉なんじゃないかな。
それはそうと今年の猛暑がそろそろ収まるみたいだな。今年は太陽があまり出てなかったから個人的にはあまり暑くなかったけど暑さが収まるのはいいことだ。
空模様
昨日はまたゲリラ豪雨からの雷があった。前に雷でパソコンが落ちたトラウマから雷の音が聞こえるとどれだけ遠くてもパソコンの電源を切っちゃう。
遠くの雷ならパソコンの電源を切る必要はないとわかってても万が一を考えてつい切ってしまう。困ったものだ。
これも雷ガードがないせいだ。そのうち買わなきゃいけないな。
空模様というとなんだか今年はくもりの日が多い。そのせいで直射日光がないから帽子をほとんど使ってないな。
暑さ自体は去年とあまり変わらないと思うんだけど直射日光がないからめちゃくちゃ楽。これ何回も書いてると思うけど。
まじで三十度とかなのに今日は涼しいな、なんて思うことがしょっちゅうだからな。今年は。おかげで楽でいい。