神様が舞い降りてきて、こう言った
ボケてかな?こういうお題でスマートにうまいことを言えたらカッコいいんだけどなんにも思い付かないや。
それより今日はお題よりも書きたいことがあるんだわ。昨日の雷について。
昨日はなんか急にすげー雷が鳴っててまじで俺の人生で初めてってくらいごろごろ鳴ってた。
漫画とかで雷怖い、みたいなキャラが出てくるとあんなん怖かねーだろって思ってたけど昨日はかなり怖かった。正直雷舐めてたね。
昔の人もそりゃゼウスの怒りとかいっちゃうわな。正に雷様って感じだった。
とはいえこれは単なる雷に関する感想で俺が書きたいのはこっからだ。端的に言うと雷でパソコンが落ちた。
ブレーカーとかは無事だったんだけど急にパソコンの電源が落ちた。雷が鳴ってる時にパソコンを使っちゃいけないのはなんとなく知ってたけど気にしてなかった。
それで調べたら雷でパソコンが落ちたら壊れる可能性があるんだよね。これは知らなかったからまじで心臓がばくばくした。
雷一発で二十万くらいするパソコンがおしゃかとかまじか。振り込みとかいろいろパソコンでやってるのに急に壊れたらどうすんだって考えが頭の中でぐるぐるしてた。
すぐにパソコンが壊れてないか電源を入れて確認したかったけど雷がまだ鳴ってたからそれもできずに雷が止むのを待った。
そして雷が止んでパソコンの電源を入れてちゃんと動くように神に祈った。幸いにもパソコンは壊れてなくてちゃんと動いて中のデータも無事だった。
いやぁ雷ってのは怖いね。今まで雷が鳴ってても気にせずパソコンを使ってたけど今度からは雷が鳴ったらパソコンをシャットダウンしようと思ったよ。
誰かのためになるならば
一人はみんなのために、みんなは一人のために。的な考え方かな。今は個人主義の時代だから誰かのためになんて本気でやる人いるとは思えないけど。
まぁもし誰かのためになにかする人がいたとしてもその人は間違いなく金持ちだろうな。人助けなんて金持ちの趣味でしかない。
時間と金に余裕のある人間しか誰かのためになんて考えない。実際に行動にまで移したらそりゃよっぽどのお金持ちだ。
なんていうのは貧乏人のひがみでしかないんだろうけど。俺も誰かのために生きられるくらい余裕のある人間になりたいものだ。
鳥かご
そういえば昔の話だけど鳥を飼っていたことがあったな。小学生の頃だったかな。
でも生き物を飼うのって難しいんだよな。子どもだったからというのは言い訳にならないんだろうけど結局死なせてしまった。
それで命の大切さを学んだ、普通ならそうなるんだろうけど親が放任主義だったのもあってそうはならなかった。
ただ死んだというか、後片付けがめんどくさいくらいにしか思わなかったかな。命というものをいまいち理解してなかったんだと思う。
それからも生き物は割りと好きだから魚とかハムスターとかいろいろ飼ったものだ。
でも生来のめんどくさがりもあって結局全部死んだ。今はかわいそうと思うけど子どもの頃はそうは思えなかった。
いつからか好きよりもめんどくささが勝って生き物を飼うことはなくなった。そして年を取って命というものを理解してあの頃は残酷なことをしたと思う。
今も生き物は飼っていない。でもそれは命の大切さを理解したというより単純に金の問題。大人になるとなんでもコスパを考えるからな。
なにかペットを飼いたいと思ってもペット本体に環境を整えてエサ代でいくらになるか。そして掃除とかがめんどくさいのもある。
大人になるとそういう現実的なことを考えてペットは飼わなくなるよな。ペットを飼えるのは余裕のあるブルジョワだけよ。
友情
友達百人できるかな、ってやつだな。ぼくは友達ゼロ人です。
しかしまぁ友達もそうだけど人間関係なんてうっとおしいだけだからな。わざわざ作る気がしないわ。
人と話すのが楽しいってのはわかるんだけどそれ以上にめんどくさいんだよね。誰だってそうだと思うけど一人のほうが気楽だからな。
なんというかあれだな。このお題はどうも書くことがない。友情とか友達ってのが縁遠いしなにより書く気がしない。
花咲いて
そういえば花って買ったことないかも。花って道端に咲いてるのを見るだけで買ったり花畑に見にいくほどのものじゃないからな。
どこぞの花畑に写真を撮りにいく、そんなのは金と時間に余裕のあるブルジョワのやることよ。花を買うのも同じだ。
花見なんかも同じだな。ああいうのができるのは金持ちだけだ。俺のような貧乏人は生きるだけで精一杯で花を愛でる余裕なんてありゃしないんだ。