寂しくて
特に何がというわけもなく寂しい時は生きていれば必ず遭遇するわけで、そう思うこと自体に何かを思ったり考えたりしても仕方がない、と思う。
私は、寂しいというより…それらの『寂しくて』を私以外の人たちはどう処理しているのか、そこが知りたい。
趣味、友人、恋人、家族
いったい何処に行けば『寂しくて』を消化できるのだろうか?
心の境界線
心の境界線というものは誰しもが持っているものだ。
どれだけ親しい間柄だろうと愛し合っていようと
心のうちを本当の意味で全て曝け出すことはないだろう。…自分自身でさえ何処までが自分の心のうちなのかわかっていなかったりするのだから。
そんなところに踏み込みたいと思うのは…
触れて、確かめて、共感して、溶け合いたいと願うのは
傲慢なのだろう
時を止めて
あぁいっそ時なんか止まってしまえばいいのに
あの花も動物も人間でさえ時の流れに逆らうことはできない。それは悲しいことだ、悲しんで然るべきことだ。
すべて私が美しいと思う時で止まってしまえばいいのに
椿は雪が積もっている時、桜は散り際に
動物は成体ではなく幼体の時に
人間は…そうね、その人の一番幸せな頃に
全部全部、時を止めてずっと消えずに取って置ければいいのに…
いかないでと、願ったのに
いかないでと言ったのにあの人はいってしまった。
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『行った』『逝った』どちらの意味の方が綺麗に聴こえるのでしょうか…
綺麗かどうかも分からないのですけど(笑)
秋風
秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれ出づる月の 影のさやけさ
百人一首79番
現代語訳:
秋風に吹かれて横に長くひき流れる雲の切れ目から、もれてくる月の光の澄みきった美しさといったらどうだろう!
これは秋の月を見上げその美しさに感動した情景を表した歌です。これを期に夜空を見上げ月を愉しむのも一興では?