>君と一緒に
─猫ぉ、………おーい、猫やぁい
─武さん。そろそろこの子の名前、付けてやって下さいよ。
─だってよぉ、オレが付けたらヨモさんが文句言うから
─………前、なんて付けましたか
─…おうどん
─いやぁ……流石にこの子にその名前は変だと思われますよ?
─なんでだよぉ、いいだろ?おうどん。ヨモさんも好きだろ?
─………ですけど、この子、黒猫ですよ?…ほら、体なんてこんなにまん丸で
─………………じゃあ、しらたき
─それじゃ変わりませんよ。………はぁ、どうしてまるで反対の名前ばっかり
─そりゃおめぇ、……まぁ、あれだ。風情があるってぇもんで…
─はぁ…………ほんと変わりませんねぇ…
─とにかくだ。そんな調子だからオレは猫に名前を付けねぇ。こいつもそろそろ慣れてくんだろ。なぁ猫?
─ふしゃあああっっ!!
─っででっ、こら、猫ぉ、加減しやがれ、このぉ…
─はぁ………おいで、クロキチ。
─………んなぁぁぅ
─…って、ヨモさん。呼び方、決めたのかい?
─…はぁ。武さんたらいっつもそんな調子なんですから、名前くらいこの子に合うように付けてやって下さいよ………ほらほらクロキチ、煮干しですよ
─はぐ、はぐ……
─あらら、もう食い終えたのかい。よっぽど腹が減ってたんだねぇ…
─クロキチ……クロキチねぇ………少し、安直すぎねぇかい?
─武さんよりはマシですよ
─ちょっとばかしひねってふろしきってのは…
─そのちょっと、ひねり過ぎてねじ切れてませんか?あの子もクロキチって名前で反応してくれますし、もうこれ以上悩むことはありませんよ
─……それも、そうだな
─…………それも、そうです
─………………なぁ、ヨモさん
─……………………はい。聞こえてますよ。
─………………静かになったなぁ、
─…………ええ。本当に
─……そうだな。悩むことなんて、一つもねぇんだ。
─…不安ですか?ウチのじゃじゃ馬をあんな善人に預けるなんて
─……アイツなら、きっとうまくやるさ。……ヨモさんとオレの、大切な娘なんだから。
─…………そうですね。武さんと私の、愛の証明ですから
─………………なぁヨモさん。
─……………………ええ。ずっと一緒ですよ。
─………………ああ。
>幸せとは
私は人間が生きていく為に必要なこと、生活の一部だと考える。
例えば、「珍しく朝早く起きた」だとか、「人にいいことをした」だとか、幸せを感じるタイミングは1日のうちに1回はあると思う。不幸なことがあった日でも、よっぽどのことがない限りは、心休まる時間が一切ないということはないはずだ。心休まる時間さえあれば、不幸な自覚は薄れ、相対的に幸せな気分になれることだろう。
これは自分に限ったことだろうが、幸せや不幸せを感じたとき、とっさに+1や-1のような正の数負の数の表記を頭の中で浮かべる。0をことが起きる前の正常なラインとおくと分かりやすいだろう。ここで、-1が0に戻ったときと+1が0に戻ったときの感情の揺らぎの違いは何だろうか?答えは分からない。これを見ている人たちは自身の中で解決してみると良いだろう。
なぜここで+1や-1のような数字が現れてしまったのか。これは感情という複雑な概念の中で、幸せや不幸せは明確に正と負という、もっと言えば得たときに生まれる感情と失ったときに生まれる感情という相反する特性を持つからであると考える。
感情と生活は切り離せない。ふと息をつく瞬間に幸せが生まれ、吐く息に混じる憂鬱と共に不幸せが生まれるのだ。