雪を待つ
今年も寒い冬がやってきた。
温暖なこの地域は雪が降ることはめったにない。
学生時代に、クリスマスの日に雪が降った。寒いはずなのに、物珍しさと嬉しさでワクワクと登校したことを覚えている。
ホワイトクリスマス
実際に体験することになるとは。
この言葉を聞くたびに、この年に頭がフラッシュバックしてしまう。
そしてその20年後、母親になった頃、また雪が降った。
小さな息子二人が喜んで小さな庭を、走り回る。
白く染まった地面を踏むと足跡がつき、それが嬉しくてたまらないようだ。
なんとも可愛い光景。
雪は私に特別な思い出をくれる。
次会えるのはいつだろう。
愛を注いで
コップいっぱいに注いだはずの水が全部外へこぼれ落ちていた。
コップの中は空っぽ。
注ぎ方を間違えたら台無し。
しっかりと器の中を満たすこと。
そんな注ぎ方が何より大切。
そんな愛し方が何より大切。
相手がしっかり全てを受け取れるように
愛を注いで、、、
心と心
心と心を通わせるのは難しい。
そのためにはまず言葉を通わせる必要がある。
発する方の言葉選び。受ける方の受け取り方。
全て正確にするのは難しい。
我々はもっと言葉を学びそれを正しく使い、正しく受け取らなければならない。
正しく発せられ受け取られた言葉達は二人の間に共通認識を作り本当の意味での心の通った状態になるのではないだろうか。
何でもないフリ
中年主婦の身体はいつもどこか調子が悪い。
ここのところ頭痛が毎日続いている。
それでも日々のルーティンは変わらず忙しい毎日だ。
「母さんおはよう」
「おはようー」
子供との挨拶を交わし、いつものようにあれやこれや手を焼いて学校に行かせる。
母はいつもなんでもないフリだ。
みんなが家を出払った後、少しだけふうーっと横になる。肩から首筋そして頭頂部にかけての鈍痛。自覚してしまうと本当に動けなくなる。まだ大丈夫。
一息ついてまたなんでもないふりをして、日々の仕事をこなす。
元気なのが当たり前。母は居るのが当たり前。
そんな毎日が普通に過ぎていくように願いながら、、
気づかないふり気づかないふり。
仲間
息子の合唱コンクールに行った。思春期の息子、家で歌を歌うことなんて皆無だ。正直全く期待していなかった。
息子のクラスの番になり、曲が始まり、息子を必死でさがした。50人という大人数の中から息子の顔らしきものをなんとか見つけ出すことができた。みんなが声を振り絞って歌うその中に息子の声もあった。顔はほとんど見えないが口が大きく開いているのがわかる。
小学校一年生の初めての音楽会を思い出した。体を揺らしながら口を一杯開けて、一生懸命となりのトトロを歌う姿。それとほぼ変わらない中学3年生の姿がそこにはあった。まっすぐ育ってくれたんだなあ。と感動を覚えた。
一人ではきっと歌えない。仲間がいるからこそ歌える合唱。50人の声は一つになって体育館に響いていた。
5クラスあって、金賞銀賞銅賞までの賞がある。
息子のクラスは銀賞だった。悔しくて泣くものがほとんどだった。みんなで金賞に向かってとても頑張って練習してきたのだろう。楽しい時だけでなく、悲しい悔しい時を共にする仲間っていいなあ。きっとこの経験で彼らは何かを得たことだろう。
かつて私だけの赤ちゃんとして産まれた息子。友達ができ仲間ができる。そんな経験をしている今が尊く思えた。