私は海の底を経験した事がある。
中学1年の時の初恋だ。
とても深く沈み抜け出せなくなってしまったのだ。
溺れしまい沈んだのだ。
高校に進学して、さらに深くへ沈んだ。
その人の海の底はとても魅力的だった。
高校2年の夏に勇気を出したんだ。
その人の海の底からは抜け出さざる終えなくなった。
ただ、悲しみと言う海の底には沈んでしまった。
海の底とは、深海だけの事を言うわけではない。
人にはそれぞれの海の底があるんだ。
その人は海の底のように私を魅了する
なぜ私が毎朝5時前に起きてまで⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎高校と言う高校に通っているのか、なぜ私は近くにある西⚪︎⚪︎高校に入らなかったのか、私は高校に進学してから沢山の疑問が浮かんだ、単純に考えて隣の市にまで勉強をしに通うのはとてもめんどくさいし大変である。そこで私はなぜそこまでして隣の市の高校に入ったのか、入った結果どんなメリットデメリットがあったのかを考えた。まず、単刀直入に結果は「世界が広がった」である。私の中学は全校で60人にも満たない小規模校である。クラスメイトは22人。中学生だった私は野球部に所属しており、特設で駅伝をしていた。勉強の方はクラスで5〜7番目で下の方ではないが点数で言えばまぁ悪くはなかった。周りの人は小学校からの友達で毎日楽しく生活を出来ていた。
だが、3年生で進路を考えた時私は気づいた、「自分は小さい世界で閉じ込められてるのではないか」と別に不満が凄くあるわけではないが、15歳まで自分は知ってる人、仲のいい人しかいない場所で安定した生活を送っていた事に気づいたのだ。だから全国で600〜700人の高校を選んだ。入学してみてすぐに分かった、自分がチャレンジした事のことの重要さに周りにはいい奴、とても自分とは合わないやつばかりだった。だがどちらの奴らも自分からしたら人生で初めての存在だった、部活では新しく陸上にチャレンジしてみた。今は競歩と駅伝をしている、部活が1番自分の見る世界を変えてくれたと思っている。陸上を通して私は「自分は自分との対話を最もさるべき」と知れた、そして何よりも仲間の大事さに気付かされた、中学では友達といたりするのは当たり前で常に自分に居場所があった、だか高校に来てからは自分の居場所はリセットされ自分で見つけ出さなければならなかった、そこで部活が1番の居場所であると気づいた、好きな仲間と好きな陸上を存分に出来る、競歩で結果が出てくると、県内や県外の陸上仲間も増えた。
確かに、自分の町の高校は知り合いしかいなくて安定していたかも知れない、けど、自分でチャレンジする道を選んで見て私は新しいチャレンジは良い面悪い面があるが、悪い面ですら自分の世界観を変えてくれる素晴らしい事だと思った。残りあと15ヶ月私はもっと自分の世界を広くしようと頑張るだろう。
鏡を見るといつも同じ自分が写っている。だがいつも違う自分の顔が鏡の前の自分をのぞいている、私は陸上部に所属している高校生だ。種目は競歩と長距離走をしている。シーズン中は競歩に専念していて戦績も悪くはない、今年からは2年生で県高校総体で1位、東北大会はあと少しのところで入賞を逃してしまったが、コロナ明けにも関わらず自己ベスト更新した、その後の大会でも大人とのレースだと3位とかになってしまうが高校生のレースになると1位を守れていた、そして県記録も持っている。自分言うのもあれだが、私は強いほうであろうこれからも頑張らねばならない。そんな私は常自信を持つことができない。「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれないが、私は他の人より人一倍自分に自信を持てていない、普段友達の前などではふざけて、自信を見せたりしてはいたが一人になったりレース前は本当に自分に余裕を持てない、だかキツイ練習などをこなしたりするとすぐに自信が出てくる、なんで分かるかって❓それを表しているのが鏡だからだ、自分が鏡を見た時向こうにいる自分がどんな面構えをしているか、それで今の自分の自信が読み取れる、おそらく他人から見ても私は色々な顔で見られているだろう、さぁ今の自分はどんな表情をしていて、自信を持てているだろうか