りきにうす

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2/16/2025, 1:36:58 PM

時間よ止まれ、と願ったことはない。
大抵の創作では、時間が止まると物事の動きも止まるけども、時間が止まったからといってなぜ「動き」まで止まるのか理解できなかった。いや、今でもできていない。
時の流れと運動は別なのではないか。第一全てが止まってしまうなら、原子の運動も止まるのであるから、その瞬間に私たちの生命活動は終わりを迎えるはずだ。
もしかしたら、こうしている間にも時間は止まっているのかもしれない。そして、私たちはそれに気が付かないだけなのかもしれない。それを確かめる術など、私たちにはないのだ。

2/13/2025, 10:42:57 AM

そっと伝えたい。
思い起こすのは儀同三司藤原伊周の子、藤原道雅の歌である。
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな
悲恋の歌である。
そっと伝えるなら、思い絶えたというよりは思い焦がれてというのを伝えたいものである。

2/12/2025, 7:30:54 PM

未来の記憶、実に不可思議な言葉である。
未来のことに記憶も何もないではないか。あるとすればそれはdéjà-vu、つまり既に見たものであろう。
いや、これはプラトンのアナムネーシスなのだ。過去の記憶であり、未来の記憶。ムネーモシュネーは飛ぶ、どこまでも。

2/12/2025, 1:18:53 AM

ココロ、とカタカナで書くことは私は全くない。
しかし、どういうときにそう書くのだろうと考えてみることにする。
思うに、一人一人の個人の心を強調したいときに使うのかもしれない。
私のココロ、というと却って何か大仰な気がしないではないが、それだけ人のココロにはそれぞれの重みがあるのかもわからぬ。

2/10/2025, 5:38:07 PM

星に願って何になるか。現代人はそう思う。
しかし、歴史を顧みれば、星に願いを込めた人が多かったのだ。
常に変わりゆく人の世にあって、星辰に思いを込めた先人たちを嗤う資格はあるのか。
何を願わずとも、夜空を見上げて悠久の感慨に耽けるのも、悪くはない。

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