人には様々な考えがあって、あるものの見方は人によって変わる。「幸せ」もそう。何を幸せと感じるかは人それぞれだし、他人の感じ方に文句をつける筋合いは他人にはない。
それを留意した上で。僕にとって幸せとは日常。ゲームして勉強してゲームして怒られる。それが幸せ。日常を過ごすことで自分の存在意義を見つけられるから。自分の居場所がはっきりと分かるから。
僕は代々酔いやすい体質である。そして今、車に揺られている。これが示す意味が分かるだろうか。そう、もう限界である。……気持ち悪い。でもそんな日常が幸せ。ということでいつもより少し短いけれど、失礼します。
初日の出、見ただろうか。僕は見ていない。前日は紅白を観ていて、起きられなかった。といっても、この辺りは住宅街なので少し遠出しないと日の出は見られない。紅白を観ていなくても、初日の出は見なかったと思う。
ただやはり、太陽をみると、心が安らぐ。ブルーライトの効果もあるだろうが、なんというか、清々しいのだ(こんな時に語彙力がなくなるのが僕の悪いところ)。朝に眺めると尚更である。特に今の季節は空気が澄んでいるから、太陽が綺麗に見えるし、何だか気持ちが良い。しかし、早起きをしてまで日の出をみようとは思えない。感性、みたいなものが失われているのだろうか。
それはとても残念なことだ。太陽を綺麗だと思わなくなる、風を気持ちの良いと思わなくなる、日光を煩わしいと思う。人間特有の豊かな感性に素直に従えなくなる。ちょっと、愚痴っぽくなってしまいました。すみません。
一、受験合格
二、安全・健康
三、友達を数人
四、自律
五、勉強を頑張る
……以上、僕の今年の抱負。抱負とは、こうしようと心の中に描いている希望や計画を言うらしい。五つ。
……まあまあ多いな。悪くいえば欲だらけ。良くいえば目標がはっきりしている。でもまあ、抱負が多いのは良いことだと、僕は思う。だって、僕の挙げた五つの抱負は全て、生きる上で大切なこと。この中にゲームを頑張る、とかがあったら少し違うけれど。
今日は神社にお参りに行った。学問の神様が祀られているとか。御守り、はちまきももらった。そういうのは信じないけれど、今年くらいは信じてみようかな。信じることの力は知っているから。じゃあ、抱負を追加。
六、少し色々なものを信じてみる。
新年、明けましておめでとうございます。今日は父方の実家に行った。大学に行った従兄弟にも会った。めっちゃ酒に酔っていた(日記風)。
ただ、友達と親以外にはまともに喋ることができない僕は祖父祖母ともあまり喋れなかった。なので、今日も例外なく隅っこでコナン映画を視聴していた(勿論一人)。ただ、今日、色々なことがあったと思う。書き出していく。
・母さんがケーキに描かれたヘビを見て絶叫。
・ケーキを食べて腹を壊した。
・父さんが破産。
・新たに車の免許をとった従姉妹の運転に不安を抱く。
……何か、新年早々ハチャメチャで踏んだり蹴ったりだったなあ。でもね、そんな日常が幸せ。やはり、一年ずっとこのままでいたい。
「良いお年を」って年末に言うんだ。ずっと、この15余年、年始に言うものだと思っていた。僕って、教養ないのかなあ。
「良いお年」になるだろうか……。良いお年にするための分岐点。一つ、高校受験。一つ、友達づくり。一つ、ゲームの年始イベント。この3つが全て。来年はゲーム、勉強。それを達成するために……一つ、勉強を頑張る。一つ、お年玉を貯めておく。一つ、火事に気をつける。もう、この3つが全て。結局、教養と金と安全。それで良い高校生活、良いお年は成り立つ。自分の生活を少しでも良くしたいと思ったなら、何かを我慢しなくてはならない。自分から歩み寄らなければならない。
何か小さなことで良い。自分なりの目標、ゴールを設定してそこに向かって努力する。そうして初めて「良いお年」は迎えられる。それではみなさん、良いお年を!