いやぁ、合唱コンクールシーズンですねぇ。流石に合唱コンクールで声が枯れるまで歌う人はいないだろうが……口パクくらいはしたことがあるのでは?
声が枯れるまで歌うとは、あまり言わない。だって、そんなことする人、いないじゃん。声が枯れるまで叫ぶ人がいるから、「声が枯れるまで叫ぶ」という言葉ができるのだ。ただ、カラオケでは、たまにいる。声が枯れるまで歌う人。逆にジュースとアイスクリームしか食べない人もいる。僕は前者。ただ、声は枯れない。4時間ずっと夜に駆けるを歌っても枯れなかった。だから、声が枯れるまで歌う人は今のところ、見たことがない。
あ、でも、部活の応援をした時は枯れた。やっぱり、それだけ一生懸命だったっていうことかぁ。あの頃は楽しかったなぁ。
誰しもルーティーンはあるもので、僕の場合、起きて2時間、ゲームをする。僕の1日の始まりはいつもゲームからだ。
ルーティーンというのは、意外と本人は意識していないものである。この文章も始まりはいつも7時からである。他にも椅子ではいつも左端に座る。今、書こうと思い出して、初めて知った。……ルーティーンはいつもの生活習慣が影響することが多い。椅子で左端に座るのは、左利きだというのもある。あとは、目立ちたくないから、真ん中には座らない、というのもある。
どうだろう。貴方にもないだろうか。無意識でしている「始まりはいつも」に目を向けてみれば、新しい自分に出会えるかもしれない。
すれ違い。この言葉には、物としてのすれ違い、形では表せないすれ違いの二通りがある。「貴方はすれ違いざまに何かを渡した。」これが前者。心のすれ違い、これが後者。
僕には心がすれ違う相手などいないのだから、物としてのすれ違いの方がしっくりくる。例えば、僕等は人生で、「え?そんなに」というほど指名手配犯とすれ違っていたりする。指名手配の効果が低いことに気が付く。貴方は未解決事件の犯人の顔を思い出せるだろうか。僕は、あまり思い出せない。多分、すれ違っても構わないだろう。まぁ、僕はテレビに出ているタレントの顔でさえすぐに思い出せないのだから、参考にはならないだろうが。
すれ違い、というお題で恐らく、ポップな文が多いだろう。その中で、指名手配を書いた、僕の文は浮いてしまうかもしれない。それも魅力だと思ってくれたら嬉しい。
秋の空はよく、高いと表現される。所謂、「高く澄んだ空」というのは、秋晴れであることが多いように思う。そういや鰯雲だとか、いやぁ、秋晴れはいいねぇ。
秋は夕暮れ、、、昔は暗記していたんだけど……。なんだっけ?枕草子、清少納言。暗記はしていないけれど読むたびに美しいなぁと思う。貴族の日記みたいな、気楽な視点から読んでみたら、日本語の美しさを感じられる。春は夜明けがいいよ、夏は夜がいいよ、秋は夕暮れがいいよ、冬は早朝がいいよって書いているだけなのに、その理由付けが美しい。三大随筆たる所以であると思う。
秋晴れは、夏晴れにはない魅力がある。それは、言葉では表すことのできない。だからこそ、美しい。みんなも秋は本を読むのもいいし、絵を描くのもいいけど、たまには空を見上げて、目を休ませよう。
長いお題、困るんだけどなあ。「忘れたくとも」なのか、「忘れたくても、忘れられない」なのか、幾度か迷ってしまった。
忘れたくても忘れられない過去、みたいな投稿が多そう。でも、今の僕に忘れたい過去なんてないなあ。それとも、もうちょっと人生経験を積めば生まれるのだろうか。ただ、僕が思うに、忘れたい過去など生まれないと思う(僕は、ね)。黒歴史も含めて僕の歴史だから。ただ、いじめられたり、トラウマ植え付けられたりしたら忘れたいかもしれない、、、それこそ、トラウマは忘れたくても忘れられないものだけれど。
忘れたくても忘れられない油揚げ……。忘れたくても忘れられないお稲荷さん。忘れたくても忘れられないキツネうどん。あぁあ。