小さい頃、カーテンに巻き付くのが好きでした。カーテンを裂くのも好きでした。ええと、ヤンチャだったんだな、と感じました。
カーテンとは常に要る物ではない。西日が入ってくるなら要るけど、日を浴びたいなら、邪魔なだけ。人々は日を浴びたい時はカーテンなんかいらないというのに、西日を遮りたい時はカーテンがほしいと言う(実際、そんな人はいないだろうけど)。あくまでこれは例えで、こういう状況だから、彼が必要。でもその状況が転じたらポイっていう人、結構居る。戦略と言われればそれまで。でもその後の「彼」の生活は?カーテン君は捨てられちゃう?そんなことまで考えられるだろうか。
ブラインドっていうのかな?僕の部屋はカーテンじゃあない。でも、カーテンに感情移入してしまった僕。カーテン君、また、いつか会おうね。
ええと、すまん、投稿遅れた。涙の理由はそういうことです。まぁ、謝罪も終わったことだし、本題に入りましょう。
最近は涙を流したことがないなあ。一番最近だと、ドラえもんの映画で感動した時、、、6年くらい前……?そんなに泣いてないか?まず、涙を流す理由がない。昔は怒られたり、色々な理由で泣いていたけど。殴られて、家から締め出されて、、、うぅん、かなり壮絶。幼い頃は本当に些細なことで涙を流していた。今は泣く理由がないもんなあ。そう、涙を流す機会がない。
たまには、涙を流す理由を、無理矢理でもいいから作ったらいいかも。泣くことは悪いことじゃあないし、沢山泣いて、ストレスを発散しましょう。
ココロオドル?何か、そんな歌詞、なかったっけ。いやぁ、思い出せないなぁ。歌詞の話はいいとして、心が踊る時って、どんな時?
そんな時、多分輝いているんだろうな。好きなことをしている時、嬉しい時、、、ココロオドル時は存分に心を踊らせたらいいと思う。だって、そんな時に自分を抑えていたら、損じゃん。楽しむ時は楽しむ。踊らせる時は踊らせる。頑張る時は頑張る。もう、そんなことでいいと思う。今、勝負所っていう時こそ楽しんで、今、追い込みって時こそ心を踊らせて、今、少しやばい状況って時こそ頑張る。
最近、「頑張る」って言葉を多用している気がする。やっぱり、僕は僕で、受験の追い込みっていうのに焦りを感じているんだろうなあ。じゃあ心、踊らせちゃいましょう。
僕には束の間の休息などない。別に忙しいとか、そんなんじゃなく、逆。「束の間」ってのは少しの間って意味。僕は沢山休息がある。
沢山というと言い過ぎか。勉強は9時から15時くらいまでしかしないし、習い事や塾にも行っていない。だから、自由に過ごせる時間は結構ある。その時間は読書をしたり、ニュースをみたり、ゲームをしたり、、、かなり充実した日々を送っていると思う。ただ、あともう少しで中間テスト。勉強尽くめになる(かなぁ?)。もしかしたら、休息は少なくなるかもしれない。そうしたら束の間の休息の価値が高くなる。
束の間の休息は、各々好きなことをして、充実した束の間を送りましょう。
力を込めて。力を込めて何をするんだろ。何かを押したり、引っ張ったり、言葉を発したり。ただ、僕が力を込めてすることって、あんまりないよな。
初対面の人と話す時は緊張して力がこもるけど、普段は脱力を意識しているからなあ。力を込めて頑張ることもなければ、勉強だって、力を込めない。でも、僕は相当頑張っている方(かなぁ?)だと思う。だから、僕は思った。「頑張る=力を込める」ということではないのでは?力を込めなくたって、頑張れる?例えば、ゲームだってそう。終えた時に疲労感は全くないけど、頑張っている。
貴方も何か感じることはないだろうか。別に頑張る時に力を込める必要がないことを。仕事でも、勉強でも、力を抜いて、頑張ろう。