きらめく――美しくきらきらと光り輝く。
きらめき――光り輝くこと。きらきらと輝くこと。
「きらめく」だと動詞になるが、「きらめき」だと名詞になるということか。
きらめきと輝きの違いはなんだろう。きらめきとは、輝くことではないのか。新しく、「きらめき」という言葉を作った意図とは。これは、柔らかい印象にする為ではないか。平仮名で書くことによって、、、「煌めき」――漢字がありました。
ただ、「輝き」と「煌めき」を並べると、後者の方が美しく感じる(あくまで個人の感想です)。それなのに、煌めきという言葉を普段あまり使わない。輝きの方が一般的によく使われるのではないか(そんなデータは一つもないが)。
要するに、文学的な表現ってこと。人が直感的にこの言葉を使いたいと思ってしまう。そんな美しさが、この言葉にはある。なんか、良いよね。
些細なことでも、相談してほしいな。そんな言葉に救われた人は、いくらいるだろう。ただ、僕は、悩んでしまう。些細なことって、どのくらい?逆に、大き過ぎる相談はしちゃダメ?
僕は、「些細なこと」の定義を知りたがってしまうのだ。この言葉の真意にも気づかず。どんなことでも良い、少しだけ、ほんの少しだけ、貴方の荷を負わせて欲しい。そんなメッセージが込められている筈なのに。僕は言葉の奥底に隠されている、伝えたいことを汲み取れない。だから、駄目なのだ。自己嫌悪に陥ってしまう。「些細なこと」で良い。それだけでも、貴方の人生に携わりたい。
深く考えなくて良い。些細なことで良いなら、どんなことでも、相談すればいいのだ。相手は、貴方に頼られたいから。そして、救われればいいのだ。
大乱闘スマッシュブラザーズSPECIALでは、灯火の星というテーマが掲げられている。これは、スマブラの開発者が星のカービィの開発にも携わっていることから、「星のカービィ」逆から読んだら、「ビーカの星」になることから、「灯(ビ)火(カ)の星」にかけているのでは?と言われていたが、本人は否定している。
最初にどうでもいい豆知識を長々と披露してしまったが、要するに、勘違いして出しゃばるなということである。
ただ、心の灯火を信じることは悪いことではない(それで他人が傷つくということでなければ)。それは自信に通じる。
()内でも書いたが、その灯火を信じることで、他人や自分が傷つくなら、信じない方が良い。
要するに、、、出しゃばるな!
……すまん、LINE、してない。だから、ある意味、LINEを開けない。スマホも、友達も持っていないから。LINEはこの2つを持っていなければ開くことが許されない。
開けないLINEには、どんな想いが込められているのだろう。気まずい相手でもいるのか。それとも、誰かからの返事が、怖いのだろうか。いずれにせよ、未読スルーはダメである。では、LINEする相手がいない僕はどうすればいい?LINEする為の道具を持っていない僕はどうすればいい?やはり、自分の現状を受け入れられればいいのか。じゃあ、気まずい相手がいても、返事が怖くても、LINEを出来るだけありがたいのではないか。開きたくても開けない僕からしたら、開けよ、と思ってしまう。
えぇ、LINEも持っていないヤツが何か、色々言ってしまってすみません。もしかすると、貴方だって開きたくても開けないかもしれない。でも、勇気を振り絞ろう。僕も、そろそろ、友達、作らなきゃ!
お題を見て、逆に完全な人などいるのか?と思った。よく、完璧な人などいないのだから、みんなの良さを活かして頑張ろうよとか言うものを聞くが、そういうことだろうか。
そりゃ、不完全な僕に苛つく時もあるし、傷つく時もある。でも、「完全な人などいない」と自分に暗示をかければ、まだ頑張れる気がする。そこで思うのだが「完全な人などいない」というのは、劣等感を感じない為のツールではないか。それが悪いとは思わない。自己防衛の為にそう思うのは構わないと思うし、完全な人などいないのは本当だと思う。
でも、やっぱり、日本に生きている以上、優劣というのはついてしまう。だったら、自分を守る、その後に不完全な僕を受け入れることが出来ればいいと思う。