風に乗ってピアノの音が聞こえる。教室で夕焼けを眺めていると軽快な音が聞こえてきた。
美空は今日、とことんついてなかった。宿題忘れは序の口、当番は今日だったし、先生に呼び止められ、させられた雑用は2時間に及んだ。
はぁ。今日は災難だったなぁ。なんか家に帰えるのもめんどくさい。家がこっちに来ればいいのに。自分で高校を選んでおきながら愚痴をつぶやく。何をするでもなく、夕焼けを見ていた。教室にはサッカー部や野球部の掛け声が響き渡っていた。なんか自分だけ不幸だ。そう思いながらもう一度ため息を吐く。
するとポロロンと音が流れてきた。なんの曲だろう。ビアノの音を聞くと、ただ流れる風もまるで意味があるようなそんな気持ちになる。ずっと聞いていたい。そう思いながら耳を傾けていると、音が止まった。
あ、もう終わり?もう少し聞きたかったのに、残念。諦めて教室を出る。明日に向けて勉強しなくちゃいけない。現実は甘くはないのだ。ふと歩いている途中で、廊下の窓から音楽室の廊下が見えることに気づいた。あれ?ここからなら誰弾いてたか見えるんじゃね。何なら弾いてってお願いできるんじゃね。目を細めて、伺うと見知った表情を見つけた。まさか御崎凜だったとは、思わずぎょっとする。御崎くんはピアノが似合わなさそうな活発な男子だった。いつもお昼ではバスケをやっていて、裁縫が死ぬほどできない。だから勝手に不器用だと思っていたのだ。それがまさかのまさかである。人には思わぬ一面があると聞いたことがあったが、まさか自分が発見することになるとは。今日は濃い一日だなぁ。そう思いながら。音楽室になんとなく足を向ける。いや、白状しよう。ぶっちゃけもっとピアノが聴きたい。だって今日一日本当に災難だったんだ。先生が雑用を押し付けたときなんて書類を床に投げ捨ててやろうかと思ったわ。このまま一日終わらせるかってぇの。要はヤケである。そのまま音楽室の扉をゆっくり開ける。御崎くんハッとしたように、ピアノから目を離した。
「あー、ごめんね。忘れ物しちゃって。御崎くんのピアノきれいだから、もっと弾いてて。」
忘れ物なんてない。だってなんて声かけるか考えてなかった。うん、馬鹿かな?やばい、忘れ物っていつの忘れ物だよ。今日、音楽の授業なんてなかったわ。心を忘れたってか。はい、馬鹿ー。ていうかぶっちゃけ消えたい。もう私は人間じゃない。スケルトンでいい。だから頼む弾いてくれ。でないと恥ずかしくて明日私休むから!さよなら私、南無三!
美空は勝手に死んだ。気にするな、高校生なんてこんなもんである。
「…なぁ、俺のピアノってそんなきれいじゃなくね?一回スマホでうまいやつ聞いたほうがいいと思うよ。」
美空の心は死んだ。とっさに声かけた内容を否定されたのである。もう灰になってから塵になって飛ばされたい。
「うん、ごめん、そうだよね。でも、私今日運がなくて、落ち込んでいたんだ。でも御崎くんのピアノ聞いてきれいだな。って思ったんだ。」
あかん、言っててめっちゃ恥ずかしい。でもここで恥ずかしがっちゃ負けだ。二度と聞けなくなる。それに私の黒歴史ができる。美空は恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤だった。
「…あー、わり。ありがとうな、俺のために言ってくれて。…ピアノ聞いていくか?」
「うん、聞いていこっかな。」
小さな声でありがとうといえばおぅと言って恐る恐るビアノを弾きはじめた。優しい、惚れるわ。ふと御崎くんの顔を見ると顔がめちゃくちゃ赤かった。耳も真っ赤だ。美空の心はめちゃくちゃうるさかった。だがそんなこととは関係なくピアノの音はぎこちなく続いていく。しばらく聞いているとピアノに集中したのか緩やかな音になっていく。あ、きれいな音。風が緩やかに流れて、穏やかな気持ちになる。ここだけ空間が切り離されたみたいだ。
あぁ今日は本当に一日が濃ゆかったなぁ。そう思いながら美空は静かに目を閉じた。