私の当たり前
『私の当たり前』と言われるとすぐには思い付かない
多分すぐには思い付かないことを毎日しているので、それが私の当たり前なのだろう。このアプリもそう。なるべく毎日書くのが当たり前になっている。私はこのアプリのおかげで文章を書くのが少し楽しみになった。文章を考える力がついている気がする。
でも他人の当たり前は違う。もちろん家族や友達も。
『当たり前』は『習慣』だと思う。なぜならすべきことが違うから。共通してやることもある。でもみんな生活リズムは違うから、自身の当たり前と他の人の当たり前も違う。その当たり前は自分自身が自然と行っていることなので、目には映りにくい。(漢字合ってる?)
だから、自分と他人は違うことを理解しよう。
他人の当たり前を否定しない。笑わない。
(これ鉄則)
みんな違ってみんないい
街の明かり
街の明かりは綺麗だ。見ず知らずの人が生活していることがわかる人工の光。人が生きるために必要な光。私はこれからも見ることができる光。
きちんと感謝して生活しよう
七夕
今日は七夕。そんなことすっかり忘れていた。
そういえばこの前図書委員のよしみで短冊を書いた。「家族で旅行ができますように」って。
最近家族で出掛けることが減ってたから、できたらいいなと思って。出掛けられるといいな。
友達との思い出はあるけどないと思う。
友達はいた。楽しい時間も過ごした。でも思い出せない、覚えてない。「こんなことがあったな」っていうのはなんとなく浮かんでくるけどその時本当に楽しかったのかって言われるとそうじゃない気がする。
今も昔もそう。いつもそう。《最初》は楽しく過ごす。けれど、『最後』は一人でいる。孤独。悲しい。
一人でも平気。だけど人と関わったら依存してしまうから、どうしても。
私は<適切な距離感>がわからない。人付き合いの正しいやり方がわからない。でも正解なんて何処にもない
私は楽しく過ごしているフリをしている。そうしないと余計な心配をされるから。相談したわけでもないのにアドバイスをしてくるから。共感したフリして自分だけが悪いと責めてくるから。
ただ肯定してほしいだけなのに。他にしてほしいことなんて何にもないのに。友達と上手く付き合っていく
方法を教えてなんて言ってないのに。
自分が悪いことは余計なアドバイスのおかげで知っている。アドバイスはイラつくけど、全部当たっているからそれもまたむかつく。
あぁ友達なんているのかな。一人じゃだめなのかな。
星空は綺麗だ。夜空に浮かぶ無数の星。ごくたまに流れる流星群。(見たことはないけど、見てみたい。)
私は星空を見ていると心が落ち着き、すっきりする。
星座はよくわかってないし探す気もないけど、星空はすきだ。静かな夜空の下でずっと眺めていたいと思う
テレビなどでの夜空は綺麗だけど、私は実際に自分の目でみて脳裏に焼き付けたい。忘れないように。
それから写真も撮る。動画でもいいけど写真がいい。
自分の好きな角度、時間、写真の背景など撮りたいと思った瞬間に撮りたい。(実際はとても難しい)
どんどん移り行く風景を、一番よい写真に残したい。