タイムマシーンに乗る機会が一度だけあった。
コックピットへの扉を開けて一歩踏み入れようとしたとき、私の脚の間を薄汚い野良猫が駆け抜けた。
尾っぽの長い猫で、その尾っぽが私の膝を一瞬くすぐった感触は今でも思い出せる。
タイムマシーンに乗れるのは一名だけ。乗った者の重みに反応して動き出す。過去に戻ることができるくせしてそれは不可逆であった。意図せず乗客となった猫は過去に行ったきり帰ることができない。
猫を追おうとした私の鼻先で扉が下りる。あと少し鼻が高ければ削がれていただろう。
扉の向こうから、ニィ、と一声がして、静かになった。
タイムマシーンは私たちのいるセンターから切り離され、目に見えない時空へ溶けていく。
過去へ行けなかった。私は落胆する。
猫を恨めしく思う。
猫が過去に行ってどうする。猫にタイムマシーンの仕組みなど理解できるものか。
あれから、あの猫はどうなっただろうか。
過去に行く唯一の機会を逃した私は今もだらだらと毎日を送っている。もし過去に行けたら、ふわふわのポメラニアンに触り放題だったはずだ。
今考えると、そのためだけに二度と戻れない時空に行ってしまうのはとても馬鹿げている。
窓の外を見ると、小さな野良犬が歩いていた。私の好きなポメラニアンだ。
赤茶色の彼あるいは彼女は、べとついた長い毛を四方八方に散らしたボサボサの身体を一生懸命に振りながら、食べ物を求めてごみ捨て場を目指していた。
私の生きる現在は、家畜以外の動物を飼育することは禁止されている。野生の生き物を保護し世話をすることも犯罪に当たる。
町には犬と猫がさまよい、いずれもが痩せぎすで汚れた身体を引きずっていた。
過去に飛んでいった猫を思い出す。長い尾っぽの先まで傷んだあの猫。
あの猫は今の法律がない過去まで行けただろうか。
世話好きな人に拾われて、ご飯をもらい、快適な部屋でぬくぬくと過ごしている姿を想像する。
私のチャンスを奪っておいて、人間を下僕に悠々自適か。腹が立ってきた。
あの猫など、大嫌いな風呂に入れられてしまえばいい。暴れてもお構いなしにシャンプーでごしごしされて、温いお湯でもかけられてしまえ。
その姿を想像すると、腹の虫も治まった。