question 1
あなたは自分の失敗を許せますか
question 2
あなたは他人の失敗を許せますか
question 3
他人はあなたの失敗を責めますか
question 4
みえない他人の評価に何故縛られるのですか
question 5
あなたは自分自身を評価してあげてますか
あなたが他人の失敗を許せるのなら、あなたは自分自身の失敗も許すべきです
他人の評価に囚われず、自分自身を大切にすべきです
悪口言われても、自分の耳に入らなければそれは言われてないのと同じです
他人が機嫌悪くても、それはその人自身の問題でありあなたが責任を感じる必要はないのです
自分の目で見て耳で聞いて感じた事だけを大切にすれば良いのです
あなたを嫌う人を、あなたが大切にする必要はないのです
心が蝕まれてゆく前に、距離を置いて遠くから見るだけでよいのです
彼女は立っていた
白地に薄紫の菖蒲の花が刺繍されている着物に身を包み、凛とした風が吹いてもなびかない様な花のように
彼女自身が花のようだった
一輪の花のような美しい女性だった
明日地球がもし滅亡したら。
明日もし事故にあって自分が死んでしまったら。
今起きているイライラもモヤモヤも悩みも全てが小さなことに思えるのだろう。
走馬灯の片隅にもならないのだろう。
そう思うと、今の苦しみもちっぽけに思えてくる。
苦しみや悩みを抱くこの感情も密かな思いにして、楽しむことに励もうと思えてくる。
私が小学生だった頃、中休みとお昼休みはクラス全員でドッジボールをするという決まりがありました。
私は活発ではない方でしたから、それはそれは嫌で仕方ありませんでした。
休みの時間は読書をしている方が私には合っていたのです。
なので、私はお昼休みに活動する図書委員に入っていました。
いつしか、私は担任である老いた男性の先生から言われました。
「あなたはいつも皆と遊ばず、図書室にいますね。もう少し協調性を磨いたらどうかな?」と。
私は何故したくもないドッジボールをわざわざ休み時間にしなくてはならないのか、自分の嫌いなことをみんなに合わせて楽しそうにすることが正しいのか。子供ながらにずっと疑問で仕方ありませんでした。
それからというもの、私は休み時間がくるのが億劫でたまりませんでした。
協調性、同調圧力。田舎では切っても切り離せないものでした。
成人し社会人になった私から、幼少期の自分へかける言葉があるとしたなら、私は周りの意見なんて気にせず好きに遊べばいいと言うでしょう。
周りに合わせることだけが全てじゃない。自分の意思、芯を持って生きていいと。
自分へ振りかざした大人のエゴなんて遠く…遠くへ投げ捨てなさいと私は語りかけたい。
今朝、日の出と同時に私は今年の抱負を考えた。
長編小説を書いて投稿しようと。
物は試し。やってみるしかない!