神様が舞い降りてきて、こう言った。
「僕、君のこと、もっと何でも出来る人として、創ったはずなんだけど。」
私は、取り敢えず「すみません。」と謝った。私の何が悪かったのか、考え始める前に。
神が、私を見ていないとは思わない。だが、神は、他の人間と比べ、私を悪く差別しているとは思う。
私の何を知って、何を聞いて、何を見て意見を言うのか、よく分からない。
だけど、もっと自分の上限超えていかないといけない。逆に、自分に今までは甘かった。ということは、分かった。
誰かから、言われたことに自分の非を認められる人になれたらいいなと思う。
誰かのためになるならば
美味しいもの食べたら、お金が貰える。そんな仕事があったらいいのにね。働いた気がしないかもだけど、別にいいんじゃない?誰かのためになってさえいれば。
将来、これに似た仕事が増える気がする。今の中高生、大学生とかの若者達の多くは、頭固いから、将来どうしようかって考えてる様子だけど、もっと気楽に考えればいいのにと思う。今を生きている大人達だって、皆、子供の頃は将来のことを心配して、生きてきたんだから。
どうせ、時間が経てば、大人になる。心配なんて、必要ない。今できることを今出来るだけ、やればいい。それ以上のことは、やらなくていい。そして、周りはその子の成長に期待しすぎてはいけない。誰かのために動こうとする気持ちを、削ぐことになるから。どの時代でも、誰かのために頑張ろうとする気持ちを、ずっと忘れない人が、将来活躍できる。私は、そう思う。
鳥かご
泣きたい。笑いたい。怒りたい。楽しみたい。
そんな感情に囚われる私。
私が檻を殴ると、檻は少し揺れる。そして、少し歪む。
自分が惨め。何もできない。自分のできることなんて、周りに気を遣わせないように、場合に応じて、笑っておくことぐらい。
急に、自分の無力さに腹が立つ。いや、俺が使えない訳じゃ無い。周りが俺を評価しないんだ。周りが悪い。俺は悪くない。絶対に俺は悪くない。
ハッと我に返ると、自分のダサさが、滲み出ていて、口の中が苦い。自分の愚かさに嫌気がさす。歯が勝負のつかない腕相撲をして、何本か砕け散っている気がする。
こんな生き方は、つまらない。どっかの花火大会にでも行って、俺自身を花火にしてもらいたい。自分など、死んで構わない。だけど、最大級に楽しんで死にたい。わがままに聞こえるけど、それは、割り切っている。全てを我欲のために。
色々な妄想をするが、いつも自分の感情が邪魔をしている。感情が、私を振り回す。それが、どこか悔しくて、私が感情を振り回そうとする。こんな生き方なら、自由を感じられて、心ゆくままに、走り続ける人生になるのだろう。檻をこじ開け、笑みを零すかのように。
友情
私は、よく友達のためにと動く。友達も、よく私のためにと動く。これが、友情。助け合って、互いを想い合うことで友好関係は、成り立つと私は思う。
Aさんと私は友達。Aさんは、十二月生まれで、私は、七月生まれ。私は、Aさんに誕生日プレゼントをあげた。すごく喜んでくれていたから、私も嬉しかった。その次の年も、私はAさんに誕生日プレゼントをあげた。Aさんは、昨年と同様に喜んでくれていた。私は、これを「最後のプレゼント」として渡した。私の器が小さかった、というのもあったかも知れないけど、Aさんには、失望した。もちろん、Aさんは、いい人だと思う。実際、私ともよく遊んでくれる。けれど、やっぱり悲しかった。「Aさんからのプレゼントが欲しかったから、私もプレゼントをあげていた」という訳では無いし、私からのプレゼントにAさんが喜んでくれれば、それで良いと思っていた。
でも、わがままなのかも知れないが、少しでいいからお返しが欲しかった。プレゼントなんていう、煌びやかな言葉を用いなくていい。一言二言添えて、缶コーヒー一本渡してくれれば、十分過ぎる。私はただただ、Aさんからの「友達を想う気持ち」を感じ、そして、Aさんとの友情を確かめたかった。
花咲いて
「おぉぉ」どうしても聞こえてくる歓声。数十年に一度花を咲かせる植物が、開花したのだ。その花は、人々の背を優に超え、空に向かって咲き誇る。
私は思う。「自分らは、どこまでこの植物について知っているのだ?珍しい花が咲いた、それだけじゃないのか?」私の苛立ちは、どうも消えたくないようだ。
あなた達は、この植物が今までしてきた行動を全く知らない。いや、知ろうとしない。この植物も同様に、あなた達のことを知ろうとしない。この考えを具現化するかのように、花は人々に見向きもせず、自由に伸び、空に花を見せる。本当の花の美しさを、私たちは知らない。知ろうとしなければ、知り得ない。
上辺だけの関係で、相手をわかった気でいてはならないのだ。