安らかな瞳
母親の瞳のようなもの。
非常に有り難く、あまり経験がないようなもの。
愛されてなくては、ありえないもの。
そういう瞳で見守れていたならば、なんでもできたかもしれないと思う反面、何もできないかもしれない。
失敗しても、それがあるということを強みにして、
思い切りやり切るという姿勢が大事だろう。
失敗しても、そこに帰ればいいのだから。
背水の陣を引いて、思い切りやって、失敗しても帰るところがあるのだから、やるしかない。
笑って帰ろう、安らかな瞳へ。
ずっと隣で
老後のことを考えることがある。
どうあるべきか?
どうしたいのか?
どうありたいのか?
色んな考えが浮かんでくる。
考える余地もない。
家内のずっと隣にいたい。
助けてもらうかもしれない。
ただ、家内を助けたい自分がいることがわかった。
それだけでいい。
平穏な日常
言葉だけを受け取ると、理想的な暮し方だと思う。
ただ、果たして幸せなのかとも考える。
辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと。
それらが混ざり合って、生きていることを実感するのではないだろうか?
喜寿を超えたら、平穏な日常は大歓迎だが、それまでは強くしなやかに生きて、生を実感していきたい。
最近、年齢のせいか、昔のことをふと思い出す。
学生時代、就職したての頃、バリバリ仕事をしていた頃の自分を俯瞰して見る。
過ぎ去った日々とは、素敵なものであって欲しかった。満更でもないが、勿論、後悔も多い。
青春のリグレットがあるから、人は前に歩ける。
全てが素敵な思い出なんて、つまらない。
お金よりも大事なもの。
大事な人との関係だと思う。
お金は勿論、時間も尽くしているから。
その関係が、人生を潤してくれたら、お金も時間も報われる。
人との関係は贅沢なものだ。
でも、その繋がりできっと救われる。
それをわかっているから、人との関係を大事にする。
人間も群れの中で、生きるものだから。