木漏れ日のような人だと思っていたら、太陽のような人だった。(褒め言葉でなく)
「これは私にとって、0からのスタートなのです」
TVから聞こえてきたアスリートの声は凛として気合に満ちていた。彼はこれからアスリートを辞めてラーメン屋を営むのだという。
私は、0から? 嘘つけ、と思いTVを消した。
彼は0からといったけれど、まず0からの人はTVでインタビューなど受けない。アスリート時代の人脈もあるだろうし、何より知名度がある分、0からとは程遠いスタートだろうと思った。
そして考えてみる。
本当の0から、は、現代社会では難しい。何をするにも来歴が付きまとうこの世の中、本当に本当の0からなんて、言葉も文化も何も知らない異国の地に行ってことを成すぐらいじゃないだろうか。
そう考えると、世の中って世知辛い。
「あの子可哀想にねー」
なんて同情は、なんの役にも立たない同情だ。"あの子の不幸"を見世物にしているか娯楽の一種にしているだけ。世の中にはこういった同情が溢れている。
ただ、時々。
"その子の不幸"に対して手を差し伸べてくれる同情も、ある。それは些細な行動かもしれないけど、その子を少しだけ救うのだ。
口で同情するのは簡単。
行動の同情は難しい。
故に尊い。
多くの枯葉は木枯らしに巻かれて落ちるのに、新しい葉が出てくるまで落ちない枯葉がある事をつい最近知った。
柏の葉だ。
家には昔から柏の木があったのにそれに気づかなかったのは、毎年晩秋身内が木の葉をのこぎりで落として丸坊主にしてしまっていたからだった。お陰で私は、柏の葉も秋に落葉するものだとばかり思っていた。
今度、一度でいいから葉をそのままにした冬の柏の木を見てみたい。
でも、雪で埋もれる地域だから無理かな。
今日も、精一杯生きました。
本当に本当に精一杯生きてたら、ガス欠起こしたので今は程々に精一杯生きてる、今日がまた終わっていく。
今日にさよなら。