俺は、都内のアパートの一室で頭を抱えていた。
なぜこんなことになったのだろう。
始まりは三年前。音楽大学に入学するために、秋田からやってきた。両親からは、非常に激しく反対された。
「音楽なんかで食っていけるのは、一握りだけだ」とか、「それならうちのラーメン屋を継いでくれ」とか。
何とか必死に説得して許しを得たが、うちには大学の学費を払えるお金はないから、『お金のことは自分で何とかすること』という条件がついた。
それから「辛くなったら帰ってきなさい」とも言われた。
だから俺は四つのアルバイトを掛け持ちして、何とか今日まで生きている。きっと今、両親に会ったら、何を言われるか分からないから、在学中は帰省していない。
そして現在。なぜ頭を抱えているのかというと、進路についてだ。俺は、先が見えない。これからも音楽の道に進みたいと考えてはいるが……、
正直、自分には難しいと最近は思うようになった。
大学では様々なレッスンを受ける。周りのクラスメイトと共に、歌や演奏などを行う。
そこで俺は、才能の差を感じてしまう。これまで必死に努力をしたはずなのに、周りと大きな差を感じてしまうのだ。
だから必然的に、悩んでしまう。これからどうすれば良いのかを。
その時、ポケットの中の携帯電話がブルブル振動した。妹から電話だ。
父さんが仕事中に倒れたらしい。「すぐ行く」と返事をして電話を切った。
急いで家を出た。
こんな形で帰省することになるとは思わなかった。今の状況を話したら何を言われるのだろうか。
「早く店を継げば良かったんだ」と怒ったり、「最初から分かっていたんだ」と笑ったりするのだろうか。
自分のことで頭がいっぱいだった。
改札を出て、辺りを見渡す。田んぼだらけの地元は何も変わっていなかった。自転車もないので、走って病院に向かう。
201号室。ベッドに父さんは窓の外を見て、横たわっていた。後ろ姿しか見えないが、俺が家を出たあの日より、随分と痩せた様に見える。
「達也……!」
「お兄ちゃん……!」
側の椅子に腰掛けた母さんと妹が声を上げた。
「ただいま……。大丈夫か、父さん……」
声が小さくなってしまったが、父さんに届いた様だ。身体をゆっくりとこちらに向ける。
「東京ではうまくやってるか?」
弱々しい声でそう聞いた。
俺はあまり言いたくなかったが、正直に伝えた。今の自分の状況、これからどうすれば良いか悩んでいること。自分の想いをできるだけ正確に伝えた。
「そうか」
端的な返事の後、少し間を置いて続けた。
「父さんは正直、一年経たないうちに帰ってくると思っていた。そんなにお前が音楽を好きだなんて知らなかったんだ。まだ音楽を頑張りたいのなら続けたら良いし、辛いんだったら戻ってくれば良い。ひとりきりで悩まないで父さんたちを頼ってほしい。できることなら何でもサポートするから」
怒りもせず、笑いもせず、父さんは俺のことを応援した。自分の心の中にある塊が、溶けていく様に感じた。
俺はひとしきりに涙を流した。
お題:一人きり
岩田は、血で赤く滲んだ豆を隠すようにテーピングを巻いた。
「今日はこの辺でやめとこう」
高崎がティーバッティングで散らばった野球ボールを片付けながら言った。
「もうちょっとやろうよ。もう大会近いんだしさ」
この間、三年生は引退して、二年生と一年生の新チームになった。新しく生まれ変わって間もないが、一週間後に秋大会の予選が始まるのである。岩田はそれを心配していた。
「……付き合うけどよ、あまり無理し過ぎるなよ?」
「分かってる。怪我したら元も子もないからな。いつも付き合ってくれてありがとう」
高崎は鼻を鳴らし、不機嫌そうにカゴに座った。それでも丁寧にインコース、アウトコースにトスしてくれる。
緑色の人工芝をしっかり踏み込み、八割程の力で芯の真ん中でボールを捉える。ただひたすらにそれを繰り返す。
十分程経った頃、カゴのボールを全て打ち終え、二人は一緒にボールを片付けた。
今日の練習はここまで。
グラウンドを出て校門を潜る。自転車に跨り、二人は一緒に駅に向かった。
「来週さ、絶対勝とうな」
「岩田」
高崎はバッグの中から一本のペットボトルを放った。駅のホームの蛍光灯がペットボトルを青く照らした。
「俺たちなら絶対に勝てる。ここまで練習してきた自分たちを信じようぜ」
高崎は笑って言った。
「……あぁ、そうだな」
やっぱり心配だけれど、その笑顔につられて自信が湧いてくる。
「また明日」と言って、二人は別れた。
蓋を開け、温くなったソーダを口に含んだ。
もう少し、自分を信じてみようと思った。
お題:Red,Green,Blue