私の当たり前
んー
意味はわかるんだけど、妙なお題。
とりあえず、本日、女子の日にて疲れてる。
自分を女子と言ってもいいのだろうかと考えたが、それはもーいい。
貧血防止に飲んだ鉄剤が全てなかったことになる歯痒さ。
殿方にはわかるまい。
優しくして欲しいですよ。
ローソンの新デザートが食べたくてたまらないのです。
あの、練乳ミルククリームのサンドね。
どなたか買ってきてくれませんか??
こんな日は自分をとことん甘やかすのです。これが私の当たり前なのです。
使い方合ってるかな。
その前にこんなこと書いていいのかな。
それも、もーいいや。
それでは。
end
街の明かり
田舎の何もない静かな夜に憧れるのに、いざ放り込まれると怖くなる。
街の明かりが視界に入ったときの安堵感ったら、もう。
都会に行くと、わくわくする。どこに行っても洒落てて、きらきらしている。
憧れるけれど、住んでしまったら、これが日常になったら、くすんでしまうのかな。
少し車を飛ばせば、海も川も山もある。こんな田舎に住みたいと願う都会の人もいるかもしれない。
お互いさまってことで、決着。
と、我ながら、よくわからないことを書いてしまった。
全部炎暑のせいend
七夕
なぜこれを“たなばた”と読むんでしょうね。
“田端”や“棚ぼた”の方がよっぽどそれに近いと思うんだけど。なんてね。
この日は、みんなが揃いも揃って、短冊に願いを書く。その短冊、一体誰が見てくれるんだろう。
織姫と彦星?
1年に1度しか会えない2人にとって、念願のイチャイチャタイム到来です。人の願い事に構っていられるかって感じかと。
むしろ、多くの短冊を束ねた上にピクニックシートを被せて、天然のプラネタリウムデート開始です。(私ならそうする)
そもそも、この2人に願い事を叶える力などあるのかな。
まー、こちらもそこまで真剣に書いてるわけじゃないからいいけどさ。
とは言いつつ。
今、目の前に短冊を差し出されたら、欲に塗れたあれやこれやを書いてしまいそうです。(真剣か)
たなばたの本来の意味は禊ぎ?らしいから、ちょうどいいのかな。
end
友だちの思い出
こんな私でもあるんですよ。一応。
今現在、友だちとの連絡を断(た)ってしまったから、友だちとゆーより、友断ちだ。
正確には、こちらが断ったとゆうより、断たれたと言う方が合ってる気がしてる。
でもね、時々あの子達と過ごした日々を思い出して、少し笑顔になる自分がいる。
何十年経っても消えない思い出って、すごくありがたいと思う。
ただ、私にとっての楽しい思い出が、あの子達にとってもそうであるかは、わからないんだよね。
当然のことだけど、友であっても他人。心の内は手に取れないから。それに気付くのが遅過ぎたんだよね、どんだけ鈍感なんだよって。
それでも、わがままではあるけれど。
彼や彼女たちが私と一緒に過ごした日々を思い出した時、「しょーもない毎日だったけど、なんか楽しかったな」と、ほんの少しでも笑顔になってくれたらいいなと、心から思い願います。
end
星空
週に何度か、歩いてジムに通う。今の時期だと、まだ明るい夕方過ぎから。昼間のあの温度が下がり、ちょうどいい感じになる。
とは言え、蒸し暑く1分も経たないうちに、じわっと汗ばんでくる。着いた時には汗だくだ。額、首、背中など軽く拭いたら、自分なりのルーティンを一通りやる。
帰り道。
すっかり暗くなっている。
行きも帰りも、好きな音楽を聴きながらの片道30分弱のウォーキング。
行きは足取り軽く到着するのだが、ランニングマシンで走った帰り道は足が重い。
行きは良い良い、帰りはウォーキングデッドだ。
さぁ、あと少しで我が家、という所で「星が出ているかな」と空を見る。
出ていない。
今日は一日中晴れだったのにもかかわらず、ぽつりぽつりとまばらに見えるだけだ。
一言言わせてもらうと、私の住んでいるこの町は都会ではない。が、豊かな田園風景が広がる田舎でもない。典型的な地方都市だ。
都会の人が「星が見えない」と言うのはわかるが、地方在住の私が言うのは、「都会でもないくせに」と言われそうな気がする。
が、見えないのだから仕方ない。
汗だくで息切れしている。
「ちょっとくらい見せてくれてもいいんじゃない?」と心の中で愚痴っているうちに、我が家に到着。
お疲れさまでした。
end