季衣

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8/6/2025, 10:46:20 AM

「またね」
それを言い合える関係性はとても貴重だ。
お互いに、
また会いたいと思っているということだから


学生が毎日言い合う「またね」も
恋人と電話で言う「またね」も
離れた実家から家に戻る時の「またね」も
長い間寄り添って過ごしてきた人を
空に送るための「またね」も

空に行くのは生まれてきた順番と同じだ。
そうであれば、幸せだが、
そうなるとは限らない。
1回1回の「またね」は
知らないうちに、最後になる可能性もある。

「またね」とは、愛なのだ。
あなたのことを大切に思っていますよ、と
伝えるための言葉だ。

だから、どんな「またね」も笑顔で。
後悔のないように。

大切な人との「またね」が、
笑顔の思い出になるように、私たちは生きる

いつか、空で再会した時
「会えたね」と笑える人生だったら、
きっと、その人生は充実していたということで。

そう思えるように、
地上にいる私たちは、
笑顔の「またね」を繰り返す。
続いていく日々の中に、
大切な人の顔を思い浮かべて。


「またね」

8/5/2025, 11:29:54 AM

漂うクラゲ、宙を舞うイルカ、
よちよち歩くペンギン
それらが好きだ。
つまり水族館が大好きなのだ。

薄暗い照明の中で、
気ままに泳いでいる彼らを見ると
私もその中に入れて欲しくなる。

彼らは見方によっては不自由を強いられ
水槽で飼育される「見世物」だ。
が、彼らは不自由なのだろうか。
温度や湿度が管理された水槽の中で
餌も必ず与えられる。
生まれた時から、水槽の中
という個体もいるだろう

毎日、たくさんの人間の「人生」を見ている。
家族連れも、
付き合い始めのカップルも、
もしかしたら、
プロポーズをしようと覚悟を決めた人も。

何年もそこにいると、
家族が増えたり、
親子連れだった子供たちが、成長して
子供だけで来るようになったり、
念願の「家族」になった2人の思い出の場所になったり


そんな場所で、今日も彼らは誰かの「心」を見ている
私は、そんな彼らの口やエラから排出される泡が、とても神聖なものに見える。


「泡になりたい」

8/4/2025, 11:08:09 AM

今年も、この季節がやってきた。
ある年は海で、ある年は病室で、
またある年は縁側に座る祖父の隣で
この季節を迎えてきた。

楽しくてはしゃいだ年も
楽しんでいる友人たちを眺めていた寂しい年も
都会の喧騒から離れた祖父の隣で過ごした年も

どんな年も、線香花火と蚊取り線香だけは
変わらずそこにあった。


今年はついに一人暮らしの部屋で迎える夏。
自由で、でも少し孤独なこの季節が
私の記憶を呼び覚ます


ただいま、夏。