孤独を感じた日が、
きっとみんなにあるだろう。
学校や会社での人間関係
夜が深くなってきた時
でも、そんな時こそ、
あなたのことを大切に思ってくれる人の顔を
思い出して見てほしい。
すぐには会えないかもしれない
でも、心の中にいるその人は
きっと笑顔で応援してくれたり、
時には「休んでいいよ」と言ってくれたり
「あなたならできるよ!」と信じてくれたり
物理的に孤独でも、
あなたの心の中にいる人たちは
きっとあなたのことを考えてくれている
「ひとりきりだ」と感じたら、
電話でもLINEでもしてみたらいい。
今少し辛い、と。
きっとその人は
黙って話を聞いてくれて
あなたに言うのであろう。
「1人きりになんかさせないよ」と。
「ひとりきり」
言い出せなくて、
あとから後悔することがたくさんある。
ありがとう、や
ごめんね、は言えても。
縁切り同然で実家から出て、
一人暮らしをしている訳だが
それは両親との関係がうまくいかず、
私のメンタルが崩壊したからだ。
勝手に内見して
契約して、諸費用を払い
家電を買い揃え、組み立てた。
友人の手は借りたが、
両親には荷物の運搬だけを頼んだ。
あの状況で、よく引き受けてくれたな、と
今でも思っている。
関係がうまくいっていないというのは、
決して、お互いを憎み合っていたわけではない
私の精神疾患を
「気のせい」で片付ける両親に
私が耐えられなくなったのが発端だった。
主治医ほか、
たくさんの支援者の皆さんが
出た方がいい、なるべく早く。
と言ってくれていたのも
決心の後押しになった。
それから約2年半、
今は程よく距離を取れていて、
精神疾患が絡まなければ
くだらない話もできるし
ご飯を食べさせて貰いに行くこともある
なのに、まだ言い出せていない言葉がある
「あなたが大切」
いいだせなかった「あなたが大切」
酷暑の夏、
私はなるべく家から出ずに過ごしている
というか、外に出られない。
出かけるとなると
3日前から体調の調整が必要になるからだ、
それでも、大好きな人達と
映画は2本見に行った
それなりに買い物も楽しんでいるし
全くしなかった自炊も少しずつ始めてみた
スイカも食べた。
さて、夏なのにしてないこと。
それはプールと花火である。
競泳の選手として過ごしていた
中学高校は一年中プールの中にいた、
実家の庭でみんなで手持ち花火をした
そういうことが無くなるというのは
私が「大人になった」ということなのか
はたまた「子ども心を忘れたのか。
私の中の子供心が、
満足する何かを見つけてあげたい」
「夏の忘れ物を探しに」
ずっと持っている疑問。
「心はどこにあるのか」
というということだ。
一説によれば心臓
一説によれば脳
また一説によれば
心なんて存在しない、とか。
臓器としては定義されていない「心」
でも、体調への影響は
良くも悪くもとても大きい。
誰かの優しさに触れて
頑張るぞ、と思える日もあれば
積み重ねたストレスで
ある日いきなり、
外に出られなくなる日もある
その場合、それは往々にして長期化する。
心がどこにあるか
なんて、考えない人の方が
多いのかもしれない。
でも、1度考え始めてしまうと
それは命題になる。
私の場合だが、
心は記憶と繋がっている感覚がある
だとしたら心があるのは
記憶を司る脳なのか?
正解は人それぞれなのだと思う。
でも、心は絶対に
あなたの中に、
あなたがここだ、と思う場所に
あるのだと思う
「ここにある」
あなたと歩いた桜並木。
今でも通ると、あの頃の記憶が
蘇る場所。
将来のことなんて何も考えず
ただ、「今を楽しむ」ことが
許された時間。
あなたは自転車を押しながら
私の歩く速度に合わせて
ゆっくり車道側を歩いてくれたね
でも、その優しさは
相手を選ばなかった
誰といても、
相手に合わせて、優しくて。
あなたにたった2文字を
伝えることは結局できなかった
今、どこで、誰と
過ごしていますか?
あの時、私が1歩だけ勇気を出せたら、
祈りは届いていたのかな。
あなたに会うことができたら
次こそ、もう一歩を
踏み出したいと思っています
「もう一歩だけ」